を運ばせてゐるにも拘《かゝ》はらず、未《いま》だ曾《かつ》て一|寸《すん》も動いてゐないのだと考へたりした。是《これ》は耄碌《もうろく》の結果ではない。宅《うち》を出て、電車に乗つて、山下で降りて、それから靴で大地の上をしかと踏んだといふ記憶を慥《たし》かに有《も》つた上の感じなのである。自分は其時《そのとき》終日|行《ゆ》いて未《いま》だ曾《かつ》て行《ゆ》かずといふ句が何処《どこ》かにあるやうな気がした。さうして其《その》句の意味は斯《か》ういふ心持を表現したものではなからうかとさへ思つた。
 これをもつと六《む》づかしい哲学的な言葉で云《い》ふと、畢竟《ひつきやう》ずるに過去は一の仮象《かしやう》に過ぎないといふ事にもなる。金剛経にある過去|心《しん》は不可得《ふかとく》なりといふ意義にも通ずるかも知れない。さうして当来《たうらい》の念々《ねん/\》は悉《こと/″\》く刹那《せつな》の現在からすぐ過去に流れ込むものであるから、又瞬刻の現在から何等の段落なしに未来を生み出すものであるから、過去に就《つい》て云ひ得《う》べき事は現在に就ても言ひ得《う》べき道理であり、また未来に就《つ
前へ 次へ
全33ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング