と、此《この》精神的打撃は更《さら》に幾倍《いくばい》の深刻さを加へてゐると見るのが正《まさ》に妥当の見解である。
 不幸にして強制徴兵案の様に自分の想像を事実の上で直接|確《たしか》めて呉《く》れる程の鮮やかな現象が、仏蘭西《フランス》ではまだ起つてゐないから、自分は自分の臆説《おくせつ》をさう手際《てぎは》よく実際に証明する訳《わけ》に行かない。けれども戦争の経過につれて、彼等の公表する思想なり言説なりに現れて来る変化を迹付《あとづ》ければ、自分の考への大して正鵠《せいこう》を失つてゐない事|丈《だけ》は略《ほゞ》慥《たしか》なやうに思はれる。此間《このあひだ》或《ある》雑誌で「力」といふ観念に就《つい》て独仏両者を比較したパラントといふ人の文章を読んだ時、自分は益《ます/\》其感を深くした。
 彼は「力」といふ考への中《うち》に、独逸《ドイツ》人の混入した不純な概念を列挙した末、仏蘭西《フランス》のそれも矢張《やは》り変に歪《ゆが》んでしまつたといふ事を下《しも》の様に説いてゐる。
「仏蘭西では科学的に所謂《いはゆる》「力」といふものが正義権利の観念と衝突した。ルーテル式独逸式ではないが、ルソー式、トルストイ式、四|海同胞《かいどうはう》式、平和式、平等式、人道式なる此《この》観念のために本来の「力」といふ考へがつい曲げられて不徳不仁《ふとくふじん》の属性を帯びるやうになつてしまつた。そこで正義と人道と平和の為に此《この》「力」といふものを軽蔑し且《かつ》否定しなければならなくなつた。さうして美と正義を一致させ、美と調和を一致させる美学を建設した。奮闘も差別も自然の法則であるといふ事を忘れた。美|其物《そのもの》も一種の「力」であり、又「力」の発現であるといふ事を忘れた。正義|其物《そのもの》も本来の意味から云へば平衡を得た「力」に過ぎないといふ事を忘れた。「力」の方が原始的で、正義の方は却《かへつ》て転来《てんらい》的であるといふ事も忘れた。斯《こ》んな僻見《へきけん》に比べるとニーチエの方が何《ど》の位|尤《もつと》もであつたか分らない。……そこで吾々は何《ど》うしても「力」といふ観念をこゝで一新する必要がある。さうして本当の意味でもう一度それを評価の階段中に入れ易《か》へなければならない。自然の法則を現すといふ点に於《おい》て「力」は科学的なものである。勝利を冀《こひねが》ふ人間の精神を現すといふ点に於て「力」は高尚なものである。吾々はもう権利と「力」とを対立させる事を已《や》めなければ行《い》けない。権利がなくつて負けるのはまだしもだが、権利がある上に負けるのは二重の敗北である。最大の損害である。無上の不幸である」
 冗漫と難渋とを恐れて、わざと大意|丈《だけ》を抄訳した此《この》一節を読んで見ても、相手の軍国主義が何《ど》んな風に仏蘭西の思想界の一部に食ひ入りつゝあるかが解るだらう。(つゞく)

       五 軍国主義(四)

 すると戦争のまだ落着しないうちから、年来|独逸《ドイツ》によつて標榜《へうばう》された軍国的精神なるものは既に敵国を動かし始めたのである。遠い東の果《はて》に住んでゐる吾々の視聴を刺戟する位《くらゐ》強く彼等の心を動かし始めたのである。さうして此《この》影響はたとひ今度の戦争が片付いても、容易に彼等の脳裏から拭《ぬぐ》ひ去る事が出来ないのである。単に過去の経験を痛切に記憶すべく余儀なくされた結果として拭ひ去る事が出来ないばかりでなく、未来に対する配慮からしても到底|此《この》影響を超越する訳《わけ》には行かないのである。
 待対《たいたい》世界の凡《すべ》てのものが悉《こと/″\》く条件つきで其《その》存在を許されてゐる以上、向後《かうご》に回復されべき欧洲の平和にも、亦《また》絶対の権威が伴つてゐない事だけは誰の眼にも明かである。然《しか》し彼等が其《その》平和の必要条件として、それとは全く両立しがたい腕力の二字を常に念頭に置くべく強《し》ひられるに至つては、彼等と雖《いへど》も今更ながら天のアイロニーに驚かざるを得まい。現代に所謂《いはゆる》列強の平和とはつまり腕力の平均に外ならないといふ平凡な理窟を彼等は又新しく天から教へられたのである。土俵の真中で四つに組んで動かない力士は、外観上|至極《しごく》平和さうに見える。今迄彼等の享有《きやういう》した平和も、実はそれ程に高価で、又それ程に苦痛性を帯びてゐたのである。しかも彼等は相撲取のやうにそれを自覚してゐなかつたために突然罰せられた。換言すれば生存上腕力の必要を向後《かうご》当分の間《あひだ》忘れる事の出来ないやうに遣付《やつつ》けられた。軍国主義が今迄彼等に及ぼした、又|是《これ》から先彼等に及ぼすべき影響は決して浅いもので
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