う考えて見ると結構な所である。赤門を潜《もぐ》り込んで、講座へ這《は》い上ろうとする候補者は――勘定《かんじょう》して見ないから、幾人あるか分らないが、一々聞いて歩いたら余程《よほど》ひまを潰《つぶ》す位に多いだろう。大学の結構な事は夫《それ》でも分る。余も至極《しごく》御同意である。然《しか》し御同意と云うのは大学が結構な所であると云う事に御同意を表したのみで、新聞屋が不結構な職業であると云う事に賛成の意を表したんだと早合点《はやがてん》をしてはいけない。
 新聞屋が商売ならば、大学屋も商売である。商売でなければ、教授や博士になりたがる必要はなかろう。月俸を上げてもらう必要はなかろう。勅任官になる必要はなかろう。新聞が商売である如《ごと》く大学も商売である。新聞が下卑《げび》た商売であれば大学も下卑た商売である。只《ただ》個人として営業しているのと、御上《おかみ》で御営業になるのとの差|丈《だ》けである。
 大学では四年間講義をした。特別の恩命を以《もっ》て洋行を仰《おおせ》つけられた二年の倍を義務年限とすると此四月で丁度《ちょうど》年期はあける訳になる。年期はあけても食えなければ、
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