たまえな。せっかくいっしょに来たものだから、いっしょに帰らないのはおかしいよ」
「しかし阿蘇へ登りに来たんだから、登らないで帰っちゃあ済まない」
「誰に済まないんだ」
「僕の主義に済まない」
「また主義か。窮屈な主義だね。じゃ一度熊本へ帰ってまた出直してくるさ」
「出直して来ちゃ気が済まない」
「いろいろなものに済まないんだね。君は元来強情過ぎるよ」
「そうでもないさ」
「だって、今までただの一遍でも僕の云う事を聞いた事がないぜ」
「幾度もあるよ」
「なに一度もない」
「昨日《きのう》も聞いてるじゃないか。谷から上がってから、僕が登ろうと主張したのを、君が何でも下りようと云うから、ここまで引き返したじゃないか」
「昨日は格別さ。二百十日だもの。その代り僕は饂飩《うどん》を何遍も喰ってるじゃないか」
「ハハハハ、ともかくも……」
「まあいいよ。談判はあとにして、ここに宿の人が待ってるから……」
「そうか」
「おい、君」
「ええ」
「君じゃない。君さ、おい宿の先生」
「ねえ」
「君は御者《ぎょしゃ》かい」
「いいえ」
「じゃ御亭主かい」
「いいえ」
「じゃ何だい」
「雇人《やといにん》で…
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