出る工夫をさ」
「全体何だって、そんな所へ落ちたんだい」
「早く君に安心させようと思って、草山ばかり見つめていたもんだから、つい足元が御留守《おるす》になって、落ちてしまった」
「それじゃ、僕のために落ちたようなものだ。気の毒だな、どうかして上がって貰えないかな、君」
「そうさな。――なに僕は構わないよ。それよりか。君、早く立ちたまえ。そう草で腹を冷《ひ》やしちゃ毒だ」
「腹なんかどうでもいいさ」
「痛むんだろう」
「痛む事は痛むさ」
「だから、ともかくも立ちたまえ。そのうち僕がここで出る工夫《くふう》を考えて置くから」
「考えたら、呼ぶんだぜ。僕も考えるから」
「よし」
 会話はしばらく途切《とぎ》れる。草の中に立って碌さんが覚束《おぼつか》なく四方を見渡すと、向うの草山へぶつかった黒雲が、峰の半腹《はんぷく》で、どっと崩《くず》れて海のように濁ったものが頭を去る五六尺の所まで押し寄せてくる。時計はもう五時に近い。山のなかばはたださえ薄暗くなる時分だ。ひゅうひゅうと絶間なく吹き卸《お》ろす風は、吹くたびに、黒い夜を遠い国から持ってくる。刻々と逼《せま》る暮色のなかに、嵐は卍《まんじ》
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