「ああいい心持ちだ」と圭さんは波のなかで云った。
「なるほどそう遠慮なしに振舞《ふるま》ったら、好い心持に相違ない。君は豪傑だよ」
「あの隣りの客は竹刀《しない》と小手《こて》の事ばかり云ってるじゃないか。全体何者だい」と圭さんは呑気《のんき》なものだ。
「君が華族と金持ちの事を気にするようなものだろう」
「僕のは深い原因があるのだが、あの客のは何だか訳《わけ》が分らない」
「なに自分じゃあ、あれで分ってるんだよ。――そこでその小手を取られたんだあね――」と碌さんが隣りの真似《まね》をする。
「ハハハハそこでそら竹刀《しない》を落したんだあねか。ハハハハ。どうも気楽なものだ」と圭さんも真似して見る。
「なにあれでも、実は慷慨家《こうがいか》かも知れない。そらよく草双紙《くさぞうし》にあるじゃないか。何とかの何々、実は海賊の張本|毛剃九右衛門《けぞりくえもん》て」
「海賊らしくもないぜ。さっき温泉《ゆ》に這入《はい》りに来る時、覗《のぞ》いて見たら、二人共|木枕《きまくら》をして、ぐうぐう寝ていたよ」
「木枕をして寝られるくらいの頭だから、そら、そこで、その、小手を取られるんだあね」と碌
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