「だって僕は今日までそうして来たんだもの」
「だから君は豆腐屋らしくないと云うのだよ」
「これから先、また豆腐屋らしくなってしまうかも知れないかな。厄介《やっかい》だな。ハハハハ」
「なったら、どうするつもりだい」
「なれば世の中がわるいのさ。不公平な世の中を公平にしてやろうと云うのに、世の中が云う事をきかなければ、向《むこう》の方が悪いのだろう」
「しかし世の中も何だね、君、豆腐屋がえらくなるようなら、自然えらい者が豆腐屋になる訳だね」
「えらい者た、どんな者だい」
「えらい者って云うのは、何さ。例《たと》えば華族《かぞく》とか金持とか云うものさ」と碌さんはすぐ様えらい者を説明してしまう。
「うん華族や金持か、ありゃ今でも豆腐屋じゃないか、君」
「その豆腐屋|連《れん》が馬車へ乗ったり、別荘を建てたりして、自分だけの世の中のような顔をしているから駄目だよ」
「だから、そんなのは、本当の豆腐屋にしてしまうのさ」
「こっちがする気でも向がならないやね」
「ならないのをさせるから、世の中が公平になるんだよ」
「公平に出来れば結構だ。大いにやりたまえ」
「やりたまえじゃいけない。君もやらなくっちゃあ。――ただ、馬車へ乗ったり、別荘を建てたりするだけならいいが、むやみに人を圧逼《あっぱく》するぜ、ああ云う豆腐屋は。自分が豆腐屋の癖に」と圭さんはそろそろ慷慨《こうがい》し始める。
「君はそんな目に逢《あ》った事があるのかい」
 圭さんは腕組をしたままふふんと云った。村鍛冶の音は不相変《あいかわらず》かあんかあんと鳴る。
「まだ、かんかん遣《や》ってる。――おい僕の腕は太いだろう」と圭さんは突然腕まくりをして、黒い奴《やつ》を碌さんの前に圧《お》しつけた。
「君の腕は昔から太いよ。そうして、いやに黒いね。豆を磨《ひ》いた事があるのかい」
「豆も磨いた、水も汲《く》んだ。――おい、君|粗忽《そこつ》で人の足を踏んだらどっちが謝《あや》まるものだろう」
「踏んだ方が謝まるのが通則のようだな」
「突然、人の頭を張りつけたら?」
「そりゃ気違《きちがい》だろう」
「気狂《きちがい》なら謝まらないでもいいものかな」
「そうさな。謝まらさす事が出来れば、謝まらさす方がいいだろう」
「それを気違の方で謝まれって云うのは驚ろくじゃないか」
「そんな気違があるのかい」
「今の豆腐屋|連《れん》はみんな、そう云う気違ばかりだよ。人を圧迫した上に、人に頭を下げさせようとするんだぜ。本来なら向《むこう》が恐れ入るのが人間だろうじゃないか、君」
「無論それが人間さ。しかし気違の豆腐屋なら、うっちゃって置くよりほかに仕方があるまい」
 圭さんは再びふふんと云った。しばらくして、
「そんな気違を増長させるくらいなら、世の中に生れて来ない方がいい」と独《ひと》り言《ごと》のようにつけた。
 村鍛冶の音は、会話が切れるたびに静かな里の端《はじ》から端までかあんかあんと響く。
「しきりにかんかんやるな。どうも、あの音は寒磬寺《かんけいじ》の鉦《かね》に似ている」
「妙に気に掛るんだね。その寒磬寺の鉦の音と、気違の豆腐屋とでも何か関係があるのかい。――全体君が豆腐屋の伜《せがれ》から、今日《こんにち》までに変化した因縁《いんねん》はどう云う筋道なんだい。少し話して聞かせないか」
「聞かせてもいいが、何だか寒いじゃないか。ちょいと夕飯《ゆうめし》前に温泉《ゆ》に這入《はい》ろう。君いやか」
「うん這入ろう」
 圭さんと碌さんは手拭《てぬぐい》をぶら下げて、庭へ降りる。棕梠緒《しゅろお》の貸下駄《かしげた》には都らしく宿の焼印《やきいん》が押してある。

        二

「この湯は何に利《き》くんだろう」と豆腐屋の圭《けい》さんが湯槽《ゆぶね》のなかで、ざぶざぶやりながら聞く。
「何に利くかなあ。分析表を見ると、何にでも利くようだ。――君そんなに、臍《へそ》ばかりざぶざぶ洗ったって、出臍《でべそ》は癒《なお》らないぜ」
「純透明だね」と出臍の先生は、両手に温泉《ゆ》を掬《く》んで、口へ入れて見る。やがて、
「味も何もない」と云いながら、流しへ吐き出した。
「飲んでもいいんだよ」と碌《ろく》さんはがぶがぶ飲む。
 圭さんは臍《へそ》を洗うのをやめて、湯槽の縁《ふち》へ肘《ひじ》をかけて漫然《まんぜん》と、硝子越《ガラスご》しに外を眺めている。碌さんは首だけ湯に漬《つ》かって、相手の臍から上を見上げた。
「どうも、いい体格《からだ》だ。全く野生《やせい》のままだね」
「豆腐屋出身だからなあ。体格が悪《わ》るいと華族や金持ちと喧嘩《けんか》は出来ない。こっちは一人|向《むこう》は大勢だから」
「さも喧嘩の相手があるような口振《くちぶり》だね。当《とう》の敵《てき》は誰だい」

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