は黙って何ともいわなかった。
健三が外国から帰った当座の二人は、まだこれほどに離れていなかった。彼が新宅を構えて間もない頃、彼は細君の父がある鉱山事業に手を出したという話を聞いて驚ろいた事があった。
「山を掘るんだって?」
「ええ、何でも新らしく会社を拵《こしら》えるんだそうです」
彼は眉《まゆ》を顰《ひそ》めた。同時に彼は父の怪力《かいりょく》に幾分かの信用を置いていた。
「旨《うま》く行くのかね」
「どうですか」
健三と細君との間にこんな簡単な会話が取り換わされた後《のち》、彼はその用事を帯びて北国《ほっこく》のある都会へ向けて出発したという父の報知を細君から受け取った。すると一週間ばかりして彼女の母が突然健三の所へ遣《や》って来た。父が旅先で急に病気に罹《かか》ったので、これから自分も行かなければならないと思うが、それについて旅費の都合は出来まいかというのが母の用向《ようむき》であった。
「ええええ旅費位どうでもして上《あげ》ますから、すぐ行って御上なさい」
宿屋に寐《ね》ている苦しい人と、汽車で立って行く寒い人とを心《しん》から気の毒に思った健三は、自分のまだ見た事もない遠くの空の佗《わ》びしさまで想像の眼に浮べた。
「何しろ電報が来ただけで、詳しい事はまるで分りませんのですから」
「じゃなお御心配でしょう。なるべく早く御立ちになる方が好《い》いでしょう」
幸いにして父の病気は軽かった。しかし彼の手を着けかけたという鉱山事業はそれぎり立消《たちぎえ》になってしまった。
「まだ何にも見付からないのかね、口は」
「あるにはあるようですけれども旨《うま》く纏《まとま》らないんですって」
細君は父がある大きな都会の市長の候補者になった話をして聞かせた。その運動費は財力のある彼の旧友の一人が負担してくれているようであった。しかし市の有志家が何名か打ち揃《そろ》って上京した時に、有名な政治家のある伯爵《はくしゃく》に会って、父の適不適を問い訊《ただ》したら、その伯爵がどうも不向《ふむき》だろうと答えたので、話はそれぎりでやめになったのだそうである。
「どうも困るね」
「今に何とかなるでしょう」
細君は健三よりも自分の父の方を遥かに余計信用していた。健三も例の怪力《かいりょく》を知らないではなかった。
「ただ気の毒だからそういうだけさ」
彼の言葉に嘘《うそ》はなかった。
七十六
けれどもその次に細君の父が健三を訪問した時には、二人の関係がもう変っていた。自《みずか》ら進んで母に旅費を用立《ようだ》った女婿《むすめむこ》は、一歩|退《しり》ぞかなければならなかった。彼は比較的遠い距離に立って細君の父を眺めた。しかし彼の眼に漂よう色は冷淡でも無頓着《むとんじゃく》でもなかった。むしろ黒い瞳《ひとみ》から閃《ひら》めこうとする反感の稲妻であった。力《つと》めてその稲妻を隠そうとした彼は、やむをえずこの鋭どく光るものに冷淡と無頓着の仮装を着せた。
父は悲境にいた。まのあたり見る父は鄭寧《ていねい》であった。この二つのものが健三の自然に圧迫を加えた。積極的に突掛《つっかか》る事の出来ない彼は控えなければならなかった。単なる無愛想の程度で我慢すべく余儀なくされた彼には、相手の苦しい現状と慇懃《いんぎん》な態度とが、かえってわが天真の流露を妨げる邪魔物になった。彼からいえば、父はこういう意味において彼を苦しめに来たと同じ事であった。父からいえば、普通の人としてさえ不都合に近い愚劣な応対ぶりを、自分の女婿に見出すのは、堪えがたい馬鹿らしさに違なかった。前後と関係のないこの場だけの光景を眺める傍観者の眼にも健三はやはり馬鹿であった。それを承知している細君にすら、夫は決して賢こい男ではなかった。
「私《わたくし》も今度という今度は困りました」
最初にこういった父は健三からはかばかしい返事すら得なかった。
父はやがて財界で有名な或人の名を挙げた。その人は銀行家でもあり、また実業家でもあった。
「実はこの間ある人の周旋で会って見ましたが、どうか旨《うま》く出来そうですよ。三井《みつい》と三菱《みつびし》を除けば日本ではまあ彼所《あすこ》位なもんですから、使用人になったからといって、別に私の体面に関わる事もありませんし、それに仕事をする区域も広いようですから、面白く働けるだろうと思うんです」
この財力家によって細君の父に予約された位地というのは、関西にある或《ある》私立の鉄道会社の社長であった。会社の株の大部分を一人で所有しているその人は、自分の意志のままに、其所《そこ》の社長を選ぶ特権を有していたのである。しかし何十株か何百株かの持主として、予《あらか》じめ資格を作って置かなければならない父は、どうして金の工面をするだろう。事状に通じない健三にはこの疑問さえ解けなかった。
「一時必要な株数だけを私の名儀に書換てもらうんです」
健三は父の言葉に疑を挟むほど、彼の才能を見縊《みくび》っていなかった。彼と彼の家族とを目下の苦境から解脱《げだつ》させるという意味においても、その成功を希望しない訳に行かなかった。しかし依然として元の立場に立っている事も改める訳に行かなかった。彼の挨拶《あいさつ》は形式的であった。そうして幾分か彼の心の柔らかい部分をわざと堅苦しくした。老巧な父はまるで其所に注意を払わないように見えた。
「しかし困る事に、これは今が今という訳に行かないのです。時機があるものですからな」
彼は懐からまた一枚の辞令見たようなものを出して健三に見せた。それには或保険会社が彼に顧問を嘱託するという文句と、その報酬として月々彼に百円を贈与するという条件が書いてあった。
「今御話した一方の方が出来たらこれはやめるか、または出来ても続けてやるか、その辺はまだ分らないんですが、とにかく百円でも当座の凌《しの》ぎにはなりますから」
昔し彼が政府の内意で或官職を抛《なげう》った時、当路の人は山陰道筋のある地方の知事なら転任させても好《よ》いという条件を付けた事があった。しかし彼は断然それを斥《しり》ぞけた。彼が今大して隆盛でもない保険会社から百円の金を貰《もら》って、別に厭《いや》な顔をしないのも、やはり境遇の変化が彼の性格に及ぼす影響に相違なかった。
こうした懸け隔てのない父の態度は、ややともすると健三を自分の立場から前へ押し出そうとした。その傾向を意識するや否や彼はまた後戻りをしなければならなかった。彼の自然は不自然らしく見える彼の態度を倫理的に認可したのである。
七十七
細君の父は事務家であった。ややともすると仕事本位の立場からばかり人を評価したがった。乃木《のぎ》将軍が一時台湾総督になって間もなくそれをやめた時、彼は健三に向ってこんな事をいった。――
「個人としての乃木さんは義に堅く情に篤《あつ》く実に立派なものです。しかし総督としての乃木さんが果して適任であるかどうかという問題になると、議論の余地がまだ大分《だいぶ》あるように思います。個人の徳は自分に親しく接触する左右のものには能《よ》く及ぶかも知れませんが、遠く離れた被治者に利益を与えようとするには不充分です。其所《そこ》へ行くとやっぱり手腕ですね。手腕がなくっちゃ、どんな善人でもただ坐《すわ》っているより外に仕方がありませんからね」
彼は在職中の関係から或会の事務一切を管理していた。侯爵《こうしゃく》を会頭に頂くその会は、彼の力で設立の主意を綺麗《きれい》に事業の上で完成した後《あと》、彼の手元に二万円ほどの剰余金を委《ゆだ》ねた。官途に縁がなくなってから、不如意に不如意の続いた彼は、ついその委託金に手を付けた。そうして何時の間にか全部を消費してしまった。しかし彼は自家の信用を維持するために誰にもそれを打ち明けなかった。従って彼はこの預金から当然生まれて来る百円近くの利子を毎月《まいげつ》調達《ちょうだつ》して、体面を繕ろわなければならなかった。自家の経済よりもかえってこの方を苦に病んでいた彼が、公生涯の持続に絶対に必要なその百円を、月々保険会社から貰うようになったのは、当時の彼の心中に立入って考えて見ると、全く嬉《うれ》しいに違なかった。
よほど後《あと》になって始めてこの話を細君から聴いた健三は、彼女の父に対して新たな同情を感じただけで、不徳義漢として彼を悪《にく》む気は更に起らなかった。そういう男の娘と夫婦になっているのが恥ずかしいなどとは更に思わなかった。しかし細君に対しての健三は、この点に関して殆《ほと》んど無言であった。細君は時々彼に向っていった。――
「妾《わたし》、どんな夫でも構いませんわ、ただ自分に好くしてくれさえすれば」
「泥棒でも構わないのかい」
「ええええ、泥棒だろうが、詐欺師だろうが何でも好《い》いわ。ただ女房を大事にしてくれれば、それで沢山なのよ。いくら偉い男だって、立派な人間だって、宅《うち》で不親切じゃ妾にゃ何にもならないんですもの」
実際細君はこの言葉通りの女であった。健三もその意見には賛成であった。けれども彼の推察は月の暈《かさ》のように細君の言外まで滲《にじ》み出した。学問ばかりに屈託している自分を、彼女がこういう言葉でよそながら非難するのだという臭《におい》がどこやらでした。しかしそれよりも遥かに強く、夫の心を知らない彼女がこんな態度で暗《あん》に自分の父を弁護するのではないかという感じが健三の胸を打った。
「己《おれ》はそんな事で人と離れる人間じゃない」
自分を細君に説明しようと力《つと》めなかった彼も、独りで弁解の言葉を繰り返す事は忘れなかった。
しかし細君の父と彼との交情に、自然の溝渠《みぞ》が出来たのは、やはり父の重きを置き過ぎている手腕の結果としか彼には思えなかった。
健三は正月に父の所へ礼に行かなかった。恭賀新年という端書だけを出した。父はそれを寛仮《ゆる》さなかった。表向それを咎《とが》める事もしなかった。彼は十二、三になる末の子に、同じく恭賀新年という曲りくねった字を書かして、その子の名前で健三に賀状の返しをした。こういう手腕で彼に返報する事を巨細《こさい》に心得ていた彼は、何故《なぜ》健三が細君の父たる彼に、賀正《がせい》を口ずから述べなかったかの源因については全く無反省であった。
一事は万事に通じた。利が利を生み、子に子が出来た。二人は次第に遠ざかった。やむをえないで犯す罪と、遣《や》らんでも済むのにわざと遂行する過失との間に、大変な区別を立てている健三は、性質《たち》の宜《よろ》しくないこの余裕を非常に悪《にく》み出した。
七十八
「与《くみ》しやすい男だ」
実際において与しやすい或物を多量に有《も》っていると自覚しながらも、健三は他《ひと》からこう思われるのが癪《しゃく》に障った。
彼の神経はこの肝癪《かんしゃく》を乗り超えた人に向って鋭どい懐しみを感じた。彼は群衆のうちにあって直《すぐ》そういう人を物色する事の出来る眼を有っていた。けれども彼自身はどうしてもその域に達せられなかった。だからなおそういう人が眼に着いた。またそういう人を余計尊敬したくなった。
同時に彼は自分を罵《ののし》った。しかし自分を罵らせるようにする相手をば更に烈《はげ》しく罵った。
かくして細君の父と彼との間には自然の造った溝渠《みぞ》が次第に出来上った。彼に対する細君の態度も暗《あん》にそれを手伝ったには相違なかった。
二人の間柄がすれすれになると、細君の心は段々生家《さと》の方へ傾いて行った。生家でも同情の結果、冥々《めいめい》の裡《うち》に細君の肩を持たなければならなくなった。しかし細君の肩を持つという事は、或場合において、健三を敵とするという意味に外ならなかった。二人は益《ますます》離れるだけであった。
幸にして自然は緩和剤としての歇私的里《ヒステリー》を細君に与えた。発作は都合好く二人の関係が緊張した間際に起った。健三は時々便所へ通う廊下に俯
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