どり」に傍点]とかいう三味線《しゃみせん》の手を教えたり、またはさば[#「さば」に傍点]を読むという隠語などを習い覚えさせたりした。
「どうもやっぱり立食に限るようですね。私もこの年になるまで、段々方々食って歩いて見たが。健ちゃん、一遍|軽井沢《かるいざわ》で蕎麦を食って御覧なさい、騙《だま》されたと思って。汽車の停《とま》ってるうちに、降りて食うんです、プラットフォームの上へ立ってね。さすが本場だけあって旨《うも》うがすぜ」
 彼は信心を名として能く方々遊び廻る男であった。
「それよか、善光寺《ぜんこうじ》の境内《けいだい》に元祖|藤八拳《とうはちけん》指南所という看板が懸っていたには驚ろいたね、長さん」
「這入《はい》って一つ遣って来やしないか」
「だって束修《そくしゅう》が要《い》るんだからね、君」
 こんな談話を聞いていると、健三も何時か昔の我に帰ったような心持になった。同時に今の自分が、どんな意味で彼らから離れてどこに立っているかも明らかに意識しなければならなくなった。しかし比田は一向そこに気が付かなかった。
「健ちゃんはたしか京都へ行った事がありますね。彼所《あすこ》に、ち
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