の発作が一段落片付くまでは、さすがの比田も黙っていた。長太郎も茶の間を出て来なかった。
「何だか先刻《さっき》より劇《はげ》しいようですね」
 少し不安になった健三は、そういいながら席を立とうとした。比田は一も二もなく留めた。
「なあに大丈夫、大丈夫。あれが持病なんですから大丈夫。知らない人が見るとちょっと吃驚《びっくり》しますがね。私《わたし》なんざあもう年来|馴《な》れっ子になってるから平気なもんですよ。実際またあれを一々苦にしているようじゃ、とても今日《こんにち》まで一所に住んでる事は出来ませんからね」
 健三は何とも答える訳に行かなかった。ただ腹の中で、自分の細君が歇私的里《ヒステリー》の発作に冒された時の苦しい心持を、自然の対照として描き出した。
 姉の咳嗽《せき》が一収《ひとおさま》り収った時、長太郎は始めて座敷へ顔を出した。
「どうも済みません。もっと早く来るはずだったが、生憎《あいにく》珍らしく客があったもんだから」
「来たか長さん待ってたほい。冗談じゃないよ。使でも出そうかと思ってたところです」
 比田は健三の兄に向ってこの位な気安い口調で話の出来る地位にあった。


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