商買《しょうばい》であった。
「そんな関係から、段々将校方の御世話になるようになりまして。その内でも柴野《しばの》の旦那には特別|御贔負《ごひいき》になったものですから」
 健三は柴野という名を聞いて急に思い出した。それは島田の後妻の娘が嫁に行った先の軍人の姓であった。
「その縁故で島田を御承知なんですね」
 二人はしばらくその柴野という士官について話し合った。彼が今高崎にいない事や、もっと遠くの西の方へ転任してから幾年目になるという事や、相変らずの大酒《たいしゅ》で家計があまり裕《ゆたか》でないという事や、すべてこれらは、健三に取って耳新らしい報知《たより》に違なかったが、同時に大した興味を惹《ひ》く話題にもならなかった。この夫婦に対して何らの悪感《あっかん》も抱《いだ》いていない健三は、ただそうかと思って平気に聞いているだけであった。しかし話が本筋に入って、いよいよ島田の事を持ち出された時彼は、自然|厭《いや》な心持がした。
 吉田はしきりにこの老人の窮迫の状を訴え始めた。
「人間があまり好過ぎるもんですから、つい人に騙《だま》されてみんな損《す》っちまうんです。とても取れる見込の
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