細君の抗議なしに幾晩も繰り返された。
 或時の彼は細君の鳩尾《みぞおち》へ茶碗《ちゃわん》の糸底を宛《あて》がって、力任せに押し付けた。それでも踏ん反《ぞ》り返ろうとする彼女の魔力をこの一点で喰《く》い留めなければならない彼は冷たい油汗を流した。
 或時の彼は不思議な言葉を彼女の口から聞かされた。
「御天道《おてんとう》さまが来ました。五|色《しき》の雲へ乗って来ました。大変よ、貴夫《あなた》」
「妾《わたし》の赤ん坊は死んじまった。妾の死んだ赤ん坊が来たから行かなくっちゃならない。そら其所《そこ》にいるじゃありませんか。桔槹《はねつるべ》の中に。妾ちょっと行って見て来るから放して下さい」
 流産してから間もない彼女は、抱き竦《すく》めにかかる健三の手を振り払って、こういいながら起き上がろうとしたのである。……
 細君の発作は健三に取っての大いなる不安であった。しかし大抵の場合にはその不安の上に、より大いなる慈愛の雲が靉靆《たなび》いていた。彼は心配よりも可哀想《かわいそう》になった。弱い憐《あわ》れなものの前に頭を下げて、出来得る限り機嫌を取った。細君も嬉《うれ》しそうな顔をした。

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