変ですね」
 世事に疎い彼は、細君の父がどこへ頼んでも、もう判を押してくれるものがないので、しまいに仕方なしに彼の所へ持って来たのだという明白な事情さえ推察し得なかった。彼は親しく交際《つきあ》った事もないその銀行家からそれほど信用されるのがかえって怖くなった。
「どんな目に逢わされるか分りゃしない」
 彼の心には未来における自己の安全という懸念が充分に働らいた。同時にただそれだけの利害心でこの問題を片付けてしまうほど彼の性格は単純に出来ていなかった。彼の頭が彼に適当な解決を与えるまで彼は逡巡《しゅんじゅん》しなければならなかった。その解決が最後に来た時ですら、彼はそれを細君の父の前に持ち出すのに多大の努力を払った。
「印を捺《お》す事はどうも危険ですからやめたいと思います。しかしその代り私の手で出来るだけの金を調《ととの》えて上げましょう。無論貯蓄のない私の事だから、調えるにしたところで、どうせどこからか借りるより外に仕方がないのですが、出来るなら証文を書いたり判を押したりするような形式上の手続きを踏む金は借りたくないのです。私の有《も》っている狭い交際の方面で安全な金を工面した方が
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