の冬に変化していた。細い燈火《ともしび》の影を凝《じっ》と見詰めていると、灯《ひ》は動かないで風の音だけが烈《はげ》しく雨戸に当った。ひゅうひゅうと樹木の鳴るなかに、夫婦は静かな洋燈《あかり》を間に置いて、しばらく森《しん》と坐《すわ》っていた。

     七十二

「今日《きょう》父が来ました時、外套《がいとう》がなくって寒そうでしたから、貴方《あなた》の古いのを出して遣《や》りました」
 田舎《いなか》の洋服屋で拵《こしら》えたその二重廻《にじゅうまわ》しは、殆《ほと》んど健三の記憶から消えかかっている位古かった。細君がどうしてまたそれを彼女の父に与えたものか、健三には理解出来なかった。
「あんな汚ならしいもの」
 彼は不思議というよりもむしろ恥かしい気がした。
「いいえ。喜こんで着て行きました」
「御父《おとっ》さんは外套を有《も》っていないのかい」
「外套どころじゃない、もう何にも有っちゃいないんです」
 健三は驚ろいた。細い灯《ひ》に照らされた細君の顔が急に憐《あわ》れに見えた。
「そんなに窮《こま》っているのかなあ」
「ええ。もうどうする事も出来ないんですって」
 口数の
前へ 次へ
全343ページ中239ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング