と歩いて行った。そうしてついぞ見た事もない新開地のような汚ない、町の中へ入った。東京で生れた彼は方角の上において、自分の今踏んでいる場所を能く弁《わきま》えていた。けれども其所《そこ》には彼の追憶を誘《いざな》う何物も残っていなかった。過去の記念が悉《ことごと》く彼の眼から奪われてしまった大地の上を、彼は不思議そうに歩いた。
彼は昔あった青田と、その青田の間を走る真直《まっすぐ》な径《こみち》とを思い出した。田の尽る所には三、四軒の藁葺屋根《わらぶきやね》が見えた。菅笠《すげがさ》を脱いで床几《しょうぎ》に腰を掛けながら、心太《ところてん》を食っている男の姿などが眼に浮んだ。前には野原のように広い紙漉場《かみすきば》があった。其所を折れ曲って町つづきへ出ると、狭い川に橋が懸っていた。川の左右は高い石垣で積み上げられているので、上から見下す水の流れには存外の距離があった。橋の袂《たもと》にある古風な銭湯の暖簾《のれん》や、その隣の八百屋《やおや》の店先に並んでいる唐茄子《とうなす》などが、若い時の健三によく広重《ひろしげ》の風景画を聯想《れんそう》させた。
しかし今では凡《すべ》ての
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