自尊心を傷《きずつ》けるのも、それらを超越する事の出来ない彼には大きな苦痛であった。
「明日《あした》の講義もまた纏《まと》まらないのかしら」
こう思うと彼は自分の努力が急に厭《いや》になった。愉快に考えの筋道が運んだ時、折々何者にか煽動《せんどう》されて起る、「己《おれ》の頭は悪くない」という自信も己惚《うぬぼれ》も忽《たちま》ち消えてしまった。同時にこの頭の働らきを攪《か》き乱す自分の周囲についての不平も常時《ふだん》よりは高まって来た。
彼はしまいに投げるように洋筆《ペン》を放り出した。
「もうやめだ。どうでも構わない」
時計はもう一時過ぎていた。洋燈《ランプ》を消して暗闇《くらやみ》を縁側伝いに廊下へ出ると、突当《つきあた》りの奥の間の障子二枚だけが灯《ひ》に映って明るかった。健三はその一枚を開けて内に入った。
子供は犬ころのように塊《かた》まって寐《ね》ていた。細君も静かに眼を閉じて仰向《あおむけ》に眠っていた。
音のしないように気を付けてその傍《そば》に坐《すわ》った彼は、心持|頸《くび》を延ばして、細君の顔を上から覗《のぞ》き込んだ。それからそっと手を彼女の寐顔
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