しく移った住居については何の影像《イメジ》も浮かべ得なかった。「時」は綺麗《きれい》にこの佗《わ》びしい記念《かたみ》を彼のために払い去ってくれた。
 御常は会う人ごとに島田の話をした。口惜《くや》しい口惜しいといって泣いた。
「死んで崇《たた》ってやる」
 彼女の権幕は健三の心をますます彼女から遠ざける媒介《なかだち》となるに過ぎなかった。
 夫と離れた彼女は健三を自分一人の専有物にしようとした。また専有物だと信じていた。
「これからは御前一人が依怙《たより》だよ。好《い》いかい。確《しっ》かりしてくれなくっちゃいけないよ」
 こう頼まれるたびに健三はいい渋った。彼はどうしても素直な子供のように心持の好い返事を彼女に与える事が出来なかった。
 健三を物にしようという御常の腹の中には愛に駆られる衝動よりも、むしろ慾《よく》に押し出される邪気が常に働いていた。それが頑是《がんぜ》ない健三の胸に、何の理窟なしに、不愉快な影を投げた。しかしその他《た》の点について彼は全くの無我夢中であった。
 二人の生活は僅《わず》かの間《ま》しか続かなかった。物質的の欠乏が源因になったのか、または御常の再
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