言葉を繰り返す事は忘れなかった。
 しかし細君の父と彼との交情に、自然の溝渠《みぞ》が出来たのは、やはり父の重きを置き過ぎている手腕の結果としか彼には思えなかった。
 健三は正月に父の所へ礼に行かなかった。恭賀新年という端書だけを出した。父はそれを寛仮《ゆる》さなかった。表向それを咎《とが》める事もしなかった。彼は十二、三になる末の子に、同じく恭賀新年という曲りくねった字を書かして、その子の名前で健三に賀状の返しをした。こういう手腕で彼に返報する事を巨細《こさい》に心得ていた彼は、何故《なぜ》健三が細君の父たる彼に、賀正《がせい》を口ずから述べなかったかの源因については全く無反省であった。
 一事は万事に通じた。利が利を生み、子に子が出来た。二人は次第に遠ざかった。やむをえないで犯す罪と、遣《や》らんでも済むのにわざと遂行する過失との間に、大変な区別を立てている健三は、性質《たち》の宜《よろ》しくないこの余裕を非常に悪《にく》み出した。

     七十八

「与《くみ》しやすい男だ」
 実際において与しやすい或物を多量に有《も》っていると自覚しながらも、健三は他《ひと》からこう思われるのが癪《しゃく》に障った。
 彼の神経はこの肝癪《かんしゃく》を乗り超えた人に向って鋭どい懐しみを感じた。彼は群衆のうちにあって直《すぐ》そういう人を物色する事の出来る眼を有っていた。けれども彼自身はどうしてもその域に達せられなかった。だからなおそういう人が眼に着いた。またそういう人を余計尊敬したくなった。
 同時に彼は自分を罵《ののし》った。しかし自分を罵らせるようにする相手をば更に烈《はげ》しく罵った。
 かくして細君の父と彼との間には自然の造った溝渠《みぞ》が次第に出来上った。彼に対する細君の態度も暗《あん》にそれを手伝ったには相違なかった。
 二人の間柄がすれすれになると、細君の心は段々生家《さと》の方へ傾いて行った。生家でも同情の結果、冥々《めいめい》の裡《うち》に細君の肩を持たなければならなくなった。しかし細君の肩を持つという事は、或場合において、健三を敵とするという意味に外ならなかった。二人は益《ますます》離れるだけであった。
 幸にして自然は緩和剤としての歇私的里《ヒステリー》を細君に与えた。発作は都合好く二人の関係が緊張した間際に起った。健三は時々便所へ通う廊下に俯
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