「自分も兄弟だから他《ひと》から見たらどこか似ているのかも知れない」
 こう思うと、兄を気の毒がるのは、つまり自分を気の毒がるのと同じ事にもなった。
「姉さんはもう好《い》いんですか」
 問題を変えた彼は、姉の病気について経過を訊《たず》ねた。
「ああ。どうも喘息《ぜんそく》ってものは不思議だねえ。あんなに苦しんでいても直《じき》癒《なお》るんだから」
「もう話が出来ますか」
「出来るどころか、なかなか能《よ》く喋舌《しゃべ》ってね。例の調子で。――姉さんの考じゃ、島田は御縫《おぬい》さんの所へ行って、智慧《ちえ》を付けられて来たんだろうっていうんだがね」
「まさか。それよりあの男だからあんな非常識な事をいって来るのだと解釈する方が適当でしょう」
「そう」
 兄は考えていた。健三は馬鹿らしいという顔付をした。
「でなければね。きっと年を取って皆なから邪魔にされるんだろうって」
 健三はまだ黙っていた。
「何しろ淋《さむ》しいには違ないんだね。それもあいつの事だから、人情で淋しいんじゃない、慾《よく》で淋しいんだ」
 兄はお縫さんの所から毎月彼女の母の方へ手宛《てあて》が届く事をどうしてか知っていた。
「何でも金鵄勲章《きんしくんしょう》の年金か何かを御藤《おふじ》さんが貰《もら》ってるんだとさ。だから島田もどこからか貰わなくっちゃ淋しくって堪らなくなったんだろうよ。何《なん》しろあの位|慾張《よくば》ってるんだから」
 健三は慾で淋しがってる人に対して大した同情も起し得なかった。

     三十八

 事件のない日がまた少し続いた。事件のない日は、彼に取って沈黙の日に過ぎなかった。
 彼はその間に時々己《おの》れの追憶を辿《たど》るべく余儀なくされた。自分の兄を気の毒がりつつも、彼は何時の間にか、その兄と同じく過去の人となった。
 彼は自分の生命を両断しようと試みた。すると綺麗《きれい》に切り棄《す》てられべきはずの過去が、かえって自分を追掛《おっか》けて来た。彼の眼は行手を望んだ。しかし彼の足は後《あと》へ歩きがちであった。
 そうしてその行き詰りには、大きな四角な家が建っていた。家には幅の広い階子段《はしごだん》のついた二階があった。その二階の上も下も、健三の眼には同じように見えた。廊下で囲まれた中庭もまた真四角《まっしかく》であった。
 不思議な事に、そ
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