算すると、つまり銀行の帳簿のように収入と支出と平均します。すなわち人のためにする仕事の分量は取《と》りも直《なお》さず己のためにする仕事の分量という方程式がちゃんと数字の上に現われて参ります。もっとも吝《けち》で蓄《た》めている奴《やつ》があるかも知れないが、これは例外である。例外であるが蓄めていればそれだけの労力というものを後《あと》へ繰越《くりこ》すのだから、やはり同じ理窟《りくつ》になります。よくあいつは遊んでいて憎《にく》らしいとかまたはごろごろしていて羨《うらや》ましいとか金持の評判をするようですが、そもそも人間は遊んでいて食える訳のものではない。遊んでいるように見えるのは懐《ふところ》にある金が働いてくれているからのことで、その金というものは人のためにする事なしにただ遊んでいてできたものではない。親父《おやじ》が額に汗を出した記念だとかあるいは婆さんの臍繰《へそくり》だとか中には因縁付《いんねんつ》きの悪い金もありましょうけれども、とにかく何らか人のためにした符徴《ふちょう》、人のためにしてやったその報酬というものが、つまり自分の金になって、そうして自分はそのお蔭《かげ》で
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