かずにいる事があります。すると子供からよく質問を受けて弱るのです。もっとも滑稽物や何かで帽子を飛ばして町内中|逐《おい》かけて行くと云ったような仕草《しぐさ》は、ただそのままのおかしみで子供だって見ていさえすれば分りますから質問の出る訳もありませんが、人情物、芝居がかった続き物になると時々聞かれます。その問ははなはだ簡単でただ何方が善人で何方が悪人かと云うだけなんです。私から云えば何方も人間にはなっていない、善人にも悪人にもなっておらない。よしなっていたって、幼稚にしろ筋は子供の頭より込入《こみい》っているからそう一口に判断を下してやる訳には行かない。それでどうも迷児《まご》つかされる事がたびたび出て来るのです。大人から云えば、ただ見ていて事件の進行と筋の運び方さえ腑《ふ》に落ちればそれですむのですけれども、悲しいかな子供にはそれほど一部始終を呑《の》み込《こ》む頭がない。と云ってただ茫然《ぼうぜん》と幕に映る人物の影がしきりに活動するのを眺めている訳にも行かない。どうかしてこの込み入った画の配合や人間の立ち廻りを鷲抓《わしづか》みに引っくるめてその特色を最も簡明な形式で頭へ入れたいに
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