い以上は大いに心細いのであります。つまり外形というものはそれほどの強味がないという事に帰着するのです。近頃|流行《はや》る飛行機でもその通りで、いろいろ学理的に考えた結果、こういう風《ふう》に羽翼《うよく》を附けてこういうように飛ばせば飛ばぬはずはないと見込がついた上でさて雛形《ひながた》を拵《こしら》えて飛ばして見ればはたして飛ぶ。飛ぶことは飛ぶので一応安心はするようなもののそれに自分が乗っていざという時飛べるかどうかとなると飛んで見ないうちはやっぱり不安心だろうと思います。学理通り飛行機が自分を乗せて動いてくれたところで、始めて形式に中味がピッタリ喰っついている事を証明するのだから、経験の裏書を得ない形式はいくら頭の中で完備していると認められても不完全な感じを与えるのであります。
して見ると、要するに形式は内容のための形式であって、形式のために内容ができるのではないと云う訳になる。もう一歩進めて云いますと、内容が変れば外形と云うものは自然の勢いで変って来なければならぬという理窟《りくつ》にもなる。傍観者の態度に甘んずる学者の局外の観察から成る規則法則|乃至《ないし》すべての形式や
前へ
次へ
全35ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング