と取り違えて是非纏めようとするは迂濶《うかつ》だと云って非難しましたが、あの例にしてからが、もしオイケン自身がこの矛盾のごとく見える生活の両面を親しく体現して、一方では秩序を重んじ一方では開放の必要を同時に感じていたならば、たとい形式上こういう結論に到着したところで、どうも変だどこかに手落があるはずだとまず自《みず》から疑いを起して内省もし得たろうと思うのです。いくら哲学的でも、概括的でも、自分の生活に親しみのない以上は、この概括をあえてすると同時にハテおかしいぞ変だなと勘づかなければなりません。勘づいて内省の結果だんだん分解の歩を進めて見ると、なるほど形式の方にはそれだけの手落があり、抜目があると云うことが判然して来るべきです。だからして中味を持っているものすなわち実生活の経験を甞《な》めているものはその実生活がいかなる形式になるかよく考える暇さえないかも知れないけれども、内容だけはたしかに体得しているし、また外形を纏める人は、誠に綺麗《きれい》に手際《てぎわ》よく纏めるかも知れぬけれども、どこかに手落があり勝である。ちょうど文法というものを中学の生徒などが習いますが、文法を習ったか
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