め方《かた》をして得意になる事も少なくないのは争うべからざる事実であると私は断言したいのです。
 冷然たる傍観者の態度がなぜにこの弊を醸《かも》すかとの御質問があるなら私はこう説明したい。ちょっと考えると、彼らは常人より判明《はっきり》した頭をもって、普通の者より根気強く、しっかり考えるのだから彼らの纏《まと》めたものに間違はないはずだと、こういうことになりますが、彼らは彼らの取扱う材料から一歩|退《しりぞ》いて佇立《たたず》む癖がある。云い換えれば研究の対象をどこまでも自分から離して眼の前に置こうとする。徹頭徹尾観察者である。観察者である以上は相手と同化する事はほとんど望めない。相手を研究し相手を知るというのは離れて知るの意でその物になりすましてこれを体得するのとは全く趣が違う。幾ら科学者が綿密に自然を研究したって、必竟《ひっきょう》ずるに自然は元の自然で自分も元の自分で、けっして自分が自然に変化する時期が来ないごとく、哲学者の研究もまた永久局外者としての研究で当の相手たる人間の性情に共通の脈を打たしていない場合が多い。学校の倫理の先生が幾ら偉い事を言ったって、つまり生徒は生徒、自分
前へ 次へ
全35ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング