中味と形式
     ――明治四十四年八月堺において述――
夏目漱石

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)明石《あかし》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)東京の方に平生|住《すま》っております。
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 私はこの地方にいるものではありません、東京の方に平生|住《すま》っております。今度大阪の社の方で講演会を諸所で開きますについて、助勢をしろという命令――だか通知だか依頼だかとにかく催しに参加しなければならないような相談を受けました。それでわざわざ出て参りました。もっともこの堺だけで御話をしてすぐ東京表《とうきょうおもて》へ立ち帰るという訳でもないので、現に明石《あかし》の方へ行きましたり、和歌山の方へ参りましたり、明日はまた大阪でやる手順になっております。無論話すことさえあれば、どこへ行って何をやっても差支《さしつかえ》ないはずですが、暑中の際そうそう身体《からだ》も続きませぬから、好い加減のところで断りたいと思っております。しかしこの堺は当初からの約束で是非何か講話をすべきはずになっておりましたから私の方もそれは覚悟の上で参りました。したがってしっかりした御話らしい御話をしなければならない訳でありますが、どうもそう旨《うま》く行かないからはなはだ御気の毒です。ただいまは高原君が樺太旅行談つけたり海豹島《かいひょうとう》などの話をされましたが実地の見聞談で誠に有益でもあり、かつ面白く聴いておりました。私のは諸君に興味または利益を与えるという点において、とても高原君ほどに参りませぬ。高原君は御覧の通りフロックコートを着ておりましたが、私はこの通り背広で御免蒙《ごめんこうむ》るような訳で、御話の面白さもまたこの服装の相違くらい懸隔《けんかく》しているかも知れませんから、まずその辺のところと思って辛抱してお聴きを願います。高原君はしきりに聴衆諸君に向って厭《いや》になったら遠慮なく途中で御帰りなさいと云われたようですが私は厭になっても是非聴いていていただきたいので、その代り高原君ほど長くはやりません。この暑いのにそう長くやっては何だか脳貧血でも起しそうで危険ですからできるだけ縮《ちぢ》めてさっさと片づけますから、その間は帰らずに、暑くても我慢をして、終った時に拍手|喝采《かっさい》をして、そうしてめでたく閉会をして下さい。
 私は先年堺へ来たことがあります。これはよほど前私がまだ書生時代の事で、明治二十何年になりますか、何でもよほど久しい事のように記憶しております。実を言うと今登った高原君、あれは私が高等学校で教えていた時分の御弟子であります。ああいう立派なお弟子を持っているくらいでありますから、私もよほど年を取りました。その私がまだ若い時の事ですからまあ昔といっても宜《よろ》しゅうございましょう。今考えるとほとんどその時に見た堺の記憶と云うものはありませんが、何でも妙国寺と云うお寺へ行って蘇鉄《そてつ》を探したように覚えております。それからその御寺の傍に小刀や庖丁《ほうちょう》を売る店があって記念のためちょっとした刃物をそこで求めたようにも覚えています。それから海岸へ行ったら大きな料理店があったようにも記憶しています。その料理店の名はたしか一力《いちりき》とか云いました。すべてがぼんやりして思い出すとまるで夢のようであります。その夢のような堺へ今日|図《はか》らずも来て再び昔の町を車に揺られながら通ってみると非常に広いような心持がする。停車場からこの会場までの道程《みちのり》も大分ある。こう申しては失礼であるが昔見た時はごくケチな所であったかのようにしか、頭に映じないのであります。それで車の上で感服したような驚いたような顔をして、きょろきょろ見廻して来ると所々の辻々《つじつじ》に講演の看板と云いますか、広告と云いますか、夏目漱石君などと云うような名前が墨黒々と書いて壁に貼《は》りつけてある。何だか雲右衛門か何かが興行のため乗り込んだようである。社の方から云えばあの方がよいのでしょうが、夏目漱石氏から云えばああ曝《さら》しものになるのはあまりありがたくない。なお車の上で観察すると往来の幅がはなはだ狭い。がそれは問題ではない、私の妙に感じたのはその細い往来がヒッソリして非常に静かに昼寝《ひるね》でもしているように見えた事であります。もっとも夏の真午《まひる》だからあまり人が戸外に出る必要のない時間だったのでしょう、私がここに着いたのはちょうど十二時少し過でありました。二階へ上って長い廊下のはずれに見える会場の入口から中の方を見渡すと、少し人の頭が黒く見えたぐらいで、市内がヒッソリしているごとく聴衆もまたヒッソリしている。これは幸いだ――とは思いません、また困ったとまでも思いま
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