せん。けれどもまあ不入りだろうと考えながら控席へ入って休息していると、いつの間《ま》にやらこんなに人が集って来た。この講堂にかくまでつめかけられた人数の景況から推《お》すと堺と云う所はけっして吝《けち》な所ではない、偉《えら》い所に違いない。市中があれほどヒッソリしているにかかわらず、時間が来さえすればこれほど多数の聴衆がお集まりになるのは偉い、よほど講演趣味の発達した所だろうと思われる。私もせっかく東京からわざわざ出て来たものでありますから、なろうことならば講演趣味の最も発達した堺のような所で、一度でも講演をすれば誠に心持がよい。だから諸君もその志《こころざし》を諒《りょう》として、終《しま》いまで静粛にお聴きにならんことを希望します。このくらいにしてここに張り出した「中味《なかみ》と形式」という題にでも移りますかな。
 第一、題からしてあまり面白そうには見えません。中味は無論つまらなそうです。私は学会の演説は時々依頼を受けてやる事がありますが、こう云う公衆、すなわち種々の職業をもった方がお集まりになった席ではあまり御話をした経験がありません。また頼みにも来ません。頼まれてもたいていは断ります。と申すのは種々の職業をもっておられる方々の総《すべ》てに興味のあるようなことは、私の研究の範囲、あるいは興味の範囲からしてとても力に及ばないという掛念《けねん》があるからです。でなるべくは避けておりますが、やむをえず今日のような場合には、できるだけ一般の人に興味のあるために、社会問題と云うようなものを択《えら》みます。けれどもその社会の見方とかあるいは人間の観察の仕方とかがまた自然私の今日までやった学問やら研究に煩《わずら》わされてどうも好きな方ばかりへ傾《かたむ》きやすいのは免《まぬ》かれがたいところでありますから、職業の如何《いかん》、興味の如何に依っては、誠に面白くない駄弁に始って下らない饒舌《じょうぜつ》に終ることだろうと思うのです。のみならずこれからやる中味と形式という問題が今申した通りあまり乾燥して光沢気《つやけ》の乏しいみだしなのでことさら懸念《けねん》をいたします。が言訳はこのくらいでたくさんでしょうからそろそろ先へ進みましょう。
 私は家に子供がたくさんおります。女が五人に男が二人、〆《し》めて七人、それで一番上の子供が十三ですから赤ん坊に至るまでズッと順よく並んでまあ体裁よく揃《そろ》っております。それはどうでも宜しいがかように子供が多うございますから、時々いろいろの請求を受けます。跳《は》ねる馬を買ってくれとか動く電車を買ってくれとかいろいろ強請《ねだ》られるうちに、活動写真へ連れて行けと云う注文が折々出ます。元来私は活動写真と云うものをあまり好きません。どうも芝居の真似《まね》などをしたり変な声色《こわいろ》を使ったりして厭気《いやけ》のさすものです。その上何ぞというと擲《なぐ》ったり蹴飛《けとば》したり惨酷《ざんこく》な写真を入れるので子供の教育上はなはだ宜《よろ》しくないからなるべくやりたくないのですが、子供の方ではしきりに行きたかがるので――もっとも活動写真と云ったって必ず女が出て来て妙な科《しな》をするとはきまっていない、中には馬鹿気て滑稽《こっけい》なのもたくさんありますから子供の見たがるのも無理ではないかも知れません。で三度に一度は頑固《がんこ》な私もつい連れ出される事があります。監督者と云いますか、何と云いますか、まず案内者あるいはお傅《もり》とでも云う格なんでしょう。暑い所へ入って鼻の頭へ汗の玉を並べて我慢をして動かずにいる事があります。すると子供からよく質問を受けて弱るのです。もっとも滑稽物や何かで帽子を飛ばして町内中|逐《おい》かけて行くと云ったような仕草《しぐさ》は、ただそのままのおかしみで子供だって見ていさえすれば分りますから質問の出る訳もありませんが、人情物、芝居がかった続き物になると時々聞かれます。その問ははなはだ簡単でただ何方が善人で何方が悪人かと云うだけなんです。私から云えば何方も人間にはなっていない、善人にも悪人にもなっておらない。よしなっていたって、幼稚にしろ筋は子供の頭より込入《こみい》っているからそう一口に判断を下してやる訳には行かない。それでどうも迷児《まご》つかされる事がたびたび出て来るのです。大人から云えば、ただ見ていて事件の進行と筋の運び方さえ腑《ふ》に落ちればそれですむのですけれども、悲しいかな子供にはそれほど一部始終を呑《の》み込《こ》む頭がない。と云ってただ茫然《ぼうぜん》と幕に映る人物の影がしきりに活動するのを眺めている訳にも行かない。どうかしてこの込み入った画の配合や人間の立ち廻りを鷲抓《わしづか》みに引っくるめてその特色を最も簡明な形式で頭へ入れたいに
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