らといってそれがため会話が上手にはなれず、文法は不得意でも話は達者にもやれる通弁などいうものもあって、その方が実際役に立つと同じ事です。同じような例ですが歌を作る規則を知っているから、和歌が上手だと云ったらおかしいでしょう、上手の作った歌がその内に自然と歌の規則を含んでいるのでしょう。文法家に名文家なく、歌の規則などを研究する人に歌人が乏しいとはよく人のいうところですが、もしそうするとせっかく拵《こしら》えた文法に妙に融通の利《き》かない杓子定規《しゃくしじょうぎ》のところができたり、また苦心して纏めた歌の法則も時には好い歌を殺す道具になるように、実地の生活の波濤《はとう》をもぐって来ない学者の概括は中味の性質に頓着《とんじゃく》なくただ形式的に纏めたような弱点が出てくるのもやむをえない訳であります。なおこの理を適切に申しますと、幾ら形と云うものがはっきり頭に分っておっても、どれほどこうならなければならぬという確信があっても、単に形式の上でのみ纏っているだけで、事実それを実現して見ないときには、いつでも不安心のものであります。それはあなた方《がた》の御経験でも分りましょう。四五年前日露戦争と云うものがありました。露西亜《ロシア》と日本とどっちが勝つかというずいぶんな大戦争でありました。日本の国是《こくぜ》はつまり開戦説で、とうとうあの露西亜と戦をして勝ちましたが、あの戦を開いたのはけっして無謀にやったのではありますまい。必ず相当の論拠があり、研究もあって、露西亜の兵隊が何万満洲へ繰出《くりだ》すうちには、日本ではこれだけ繰出せるとか、あるいは大砲は何門あるとか、兵糧《ひょうりょう》はどのくらいあるとか、軍資はどのくらいであるとかたいていの見込は立てたものでありましょう。見込が立たなければ戦争などはできるはずのものではありません。がその戦争をやる前、やる間際《まぎわ》、及びやりつつある間、どのくらい心配をしたか分らない。と云うのはいかに見込のちゃんと明かに立ったものにせよただ形式の上で纏《まとま》っただけでは不安でたまらないのであります。当初の計画通りを実行してそうして旨《うま》く見込に違わない成績をふり返って見て、なるほどと始めて合点《がてん》して納得《なっとく》の行ったような顔をするのは、いくら綺麗《きれい》に形だけが纏っていても実際の経験がそれを証拠立ててくれな
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