《ひ》き抜《ぬ》いて書くのですから、分りやすく明暸《めいりょう》になる代りにははなはだ単調にして有名なる風邪引き男が創造されてしまいます。本来を云うと病気の時と、丈夫な時と、病気でも丈夫でもない時と三通りかいて、始めてその人の健康の全局面が、あらわれると云わなければなりません。しかし、そうすると、どうしても散漫に見えます。要領を得ないように見えて来ます。風邪でもこの通りですが、性格はこれよりも遥《はる》かに複雑であります。例えばAなる性格の第一行為をA1[#「A1」は縦中横、「1」は上付き小書き]とすると、A1[#「A1」は縦中横、「1」は上付き小書き]からして類推のできるA2A3A4[#「An」はそれぞれ縦中横、数字は上付き小書き]を順次に描出して行けば、全局面は無論出て来ない。たいていは一特質の重複に近くなります。もしA1A2A3A4[#「An」はそれぞれ縦中横、数字は上付き小書き]が因果の法則で連結されておって、この諸行為の内容に密接な類似を示すときは、重複が変じて発展となります。発展ではあるがA1[#「A1」は縦中横、「1」は上付き小書き]が基点であって、そのA1[#「A1」は縦中横、「1」は上付き小書き]は全性格の一特性であるからして、A1[#「A1」は縦中横、「1」は上付き小書き]の発展もまた全性格の発展と見傚《みな》す訳には参りません。私はこの種の重複でも発展でも文学上価値のないものと断言するのではないのですが、そちらはすでに大分ある事だから、全性格の描写と云う方に客観的態度をもって少しく進んでみたら開拓の余地がたくさんあるだろうと思います。その代り在来の小説を読んだ眼から見れば、散漫になります、滅裂になりやすいです、または神秘的に変じましょう。しかし吾人が客観的描写に興味を有してくると、漸々《ぜんぜん》この散漫と滅裂と神秘を妙に思わないような時機が到着しはせまいかと思われます。言葉を換えて云うと形式の打破をある程度まで意に留めなくなりはせまいかと考えるのです。しかし一応は御断りを致しておきます。吾々の世界はすでに冒頭において述べた通り撰択《せんたく》の世界であります。光線にしても、音響にしても、一定の振動数以上もしくは以下のものは、見る事も聞く事もできない有様でございます。性格の全部と云ったところで、全部がことごとく観察され得るとは申しません。無論比較的と云う文字を挿入《そうにゅう》して御考を願うよりほかに致し方がありません。それから客観的態度で時間の内容を写して行くと(ある一物につき)この連続が因果《いんが》になるには相違ありませんから、いくら散漫でも滅裂でも神秘でも因果を離れるとは申されません。ただその因果が、因果の律にまとめられるほどに、経験上熟知されていないから、散漫で滅裂で神秘と見るまでの事であります。だからこの種の因果の経験を繰《く》り返《かえ》して、その中から因果の律を抽象する事ができると同時に、散漫は統一に帰し、神秘は明白になります。(性格の描写に関連して研究の価あるのはムードの観察であります。ムードの描写は昔の小説にはほとんどないと思います。しかもこのムードから面白い行為が出て、たしかに興味のある結果を生じます。ムードと性格の関係その他は今は述べません。また述べられるだけに頭が整っておりません)
性格の解剖についでは、心理状態の解剖であります。最も性格と関係があるのは無論でありますが、一言にして云うと今日の人の心的状態は昔《むか》しの人の心的状態より大分複雑になっておりますからして、同一の行為でも、その動機が遥《はる》かに趣を異にしている訳で、そこを観察したら、充分開拓の余地があると申す意味でございます。例《たと》えばここに一人の男があって人殺しをする。なぜ人殺しをしたかと云うに人殺しが目的ではない、ほんの方便で、人殺しをしたあとの心持ちを痛切に味わってみたいというような芸術家が出て来たとするならば――まだあんまり出ないようですが――どうでしょう。いくら説明したって元禄時代の人物には分らないにきまっている。というものはこの男の人殺しに対する評価は、人殺しから生ずる自己の心裏《しんり》の経験に対する評価より遥かに相場が安いのであります。平たく云えば人殺しと云う事をさほどわるく思っていない。のみならずわざと罪を犯しておいて、犯したあとの心持を痛切に味わうというような込みいった考えはとうてい大石良雄や室鳩巣《むろきゅうそう》などに分るものではありません。もちろん今の人にでも分らんかも知れませんが、今の人ならばほぼ想像はつきますから、それまで複雑なのに違ありません。また恋と云う一字でもこの頃になると恋という一字では不充分なくらい種類ができはしまいかと思われます。すでに沙翁《さおう》のかいたものでも分ければ幾通りにも分けられる恋が書いてありますが、近代に至るとその区別がますます微細になりはせぬかと思われます。ゴンクールの書いたラフォースタンと云う小説のなかにはこんなのがあります。有名な女優があって、この女優がある英国の貴族と慇懃《いんぎん》を通じたままそれぎり幾年か音信不通の姿でおりましたところ、貴族の方では急に親が死んで、莫大《ばくだい》の遺産を相続するような都合になったので、今は結婚その他の点についても何人も喙《くちばし》を挟む事のできない身分でありますから、多年恋着していた婦人を正式に迎えるのはこの時と云うので、狂うばかりに喜んで、仏蘭西《フランス》へ渡りますと、女の方も固《もと》より深い仲の事でありましたから、泣いて分れたその日の通り大事に男の事を思いつづけていた折で、無論異存のあるはずはございません。めでたく結婚致します。それだけだとこれも陳腐《ちんぷ》なのですが、これから先が山であります。さて結婚をしてみると夫の方では金に不足のない身ではあるし、女房を女優にしておくのは何となく心配ですから、もう廃業したら善かろうと云う相談を持ちかけます。ところが細君の方はもともと役者が性《しょう》に合っている訳なんだからかどうか分りませんが、何となく廃《や》めたくなかったのであります。しかし可愛い男の云う事だから、厭《いや》な心を抑えて亭主の意に従います。それから二人で非常な贅沢《ぜいたく》をやります。嬉《うれ》しい中でいっしょになって、金を使いたいだけ使うんだから、幸福でなければならないはずですが、そこが妙なもので、細君が女優をやめてからというものは何となく気色が勝《すぐ》れなくなります。いくら夫が機嫌《きげん》をとっても浮き立ちません。と云って固々《もともと》憎《にく》い男ではないんだから粗略にする訳はない。しんそこ夫の事はいとしく思っているのであります。ただ心が陽気になれないだけなのですが、夫の方では最愛の細君の一顰一笑《いっぴんいっしょう》も千金より重い訳ですから、捨ておかれんと云うので慰藉《いしゃ》かたがた以太利《イタリー》へ旅行に出かけます。しかるに男は出先で病気に懸《かか》ります。細君は看病に怠りはございませんが、定業《じょうごう》はしかたのないものでとうとう死んでしまいます。その死ぬ少し前に例の通り細君が看病のため枕辺へ寄り添いますと、男はいつになく荒々しい調子で、手をもって細君を突き退《の》けるばかりに、押し返して、御前は必竟《ひっきょう》芸術家だ。本当の恋はできない女だと云うのです。それが結末であります。御前は必竟芸術家だ本当の恋はできない女だ。これが一種の恋でありましょう。有名なルージンの恋も普通一般の恋ではありません。ルージン一流の恋であります。ズーデルマンの書いたフェリシタスの恋などはもっとも特色を帯びた一種の恋のように思います。これが日本の昔であってみると、大概似たもののように見えます。八重垣姫《やえがきひめ》の恋も、御駒才三の恋も、御染久松《おそめひさまつ》の恋も、まあ似たり寄ったりであります。なぜ似たり寄ったりかというと、異種類の恋はなかったと解釈する事もできますしまた、観察力が鈍かったからだと断定する事ができますが、まず両方と見ておきましょう。がまずざっと、こんな訳でありますから、かように複雑になりつつある吾々の心のうちをよく観察したら、いろいろ面白い描写ができる事だろうと思います。
あまり長くなりますから、あとはなるべく手短かに指摘して通り過ぎるくらいに致します。次には、人生の局部を描写して、これを一句にまとめ得るような意味を与える事であります。落語家のいわゆる落ちをつけた小説のようなものになります。これは近頃大分流行致しておりますから、別段|布衍《ふえん》する必要もございますまい。ただ御注意だけに留《とど》めておきます。前の例などもここに応用ができます。「御前は必竟芸術家だ。本当の恋はできない」これが一篇の主意の落着するところであります。ただし落ちを取る目的は綜合《そうごう》にあるので、前の二カ条は解剖が主でありますから、目的の方角は反対になります。だからちょっと区別しておきました。
次には、人生において、容易に注意を払っておかなかった現象、したがって滅多《めった》にない事という意味にもなりますが、この方面にも大分新らしい材料がある事と思われます。この間友人からこんな話を聞きました。その男の国での事でありますが、ある芸妓《げいしゃ》がある男と深い関係になっていたのだそうで。その両人がある時船遊びに出ました。そこいらを漕《こ》ぎ廻った末、都合のいい磯《いそ》へ船をもあいまして、男が舟を棄《す》てて岸へ上りました。ところが岸辺に神社か何かあると見えて、磯からすぐに崖《がけ》になって、崖のなかから石段が海の方へ細長くついております。男はその石段を登ったんだそうです。女は船のなかから、石段を上って行く男の後姿を見ていたそうです。その後姿を見ていた時、急に自分の情夫に愛想をつかしてしまったんだと友人は話しましたが、その源因は私にも、友人にも、本人の芸者にも無論分りません。これと類似の例をゼームスの宗教的経験と云う本や、スターバックの宗教心理学で見た事がありますが、個人の経歴譚《けいれきたん》として聞いたのはこれが始めてであります。これはあまり突飛な例かも知れませんが、こんな経験で文学の形になってあらわれておらないものが大分あるだろうから、そういう研究をしたら材料はずいぶん出て来はすまいかと思っております。
このほか因果の関係で人の気につかなかった事やら、類型を脱した個性をかく方面やらいろいろあるだろうと思いますが、この三四カ条は理論上これこれに分れると云うのでなくって、ただ思いついた事を列《なら》べたまででありますが、どこで切っても同じ事でありますからこれでやめておきましょう。しかし今日の吾邦《わがくに》に比較的客観態度の叙述が必要であると云う事は、向後何年つづく事か明らかには分りません。西洋では illuminism が盛《さかん》に行われた、十八世紀の反動として十九世紀の前半に浪漫的趣味の勃興《ぼっこう》を来《きた》しました。それが変化してまた客観的態度に復して参りました。二十世紀はどうなるか分りません。この二潮流が押しつ押されつしているうちに、つまりは両方が一種の意味において一様に発達して参ります。そうして発達した両方が交り合って雑種の雑種というようなものが、いくらでもその間に起って参ります。右へ行ったり左へ寄ったりするのは、つまり態度だけの話で、この態度から出る叙述はけっして繰《く》り返《かえ》されるものではありません。どこか変って参ります。杜撰《ずさん》ながら自分の考では、世間一般の科学的精神が、情操の勢力より比較的強くなって、平衡を失いかけるや否や、文壇では情操文学が隆起して参りますし、また情操の勢力が科学的精神を圧迫するほどに隆起してくると、客観文学が是非とも起って参る訳だと考えます。文壇はこの二つの勢力が互に消長して、平衡を回復し、回復するかと思うと平衡を失して永久に発展するものでありましょう。であるから同時同刻にせよ西洋の文学にあらわれ
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