た態度が、必ず日本の態度の模範になる理由は認められません。前段に申した今日|吾邦《わがくに》における客観文学の必要とは、我邦現在の一般の教育状態からして案出した愚考に過ぎんのであります。しかしながら、やはり同一の立場から見て、ほとんど純客観に近い態度の文学を必要と認めるほど情操の勢力は社会を威圧しているようには思われませんから、いたずらに客観にのみ重きを置く文学は不必要に近いように思われます。維新後今日までの趨勢《すうせい》を見ますと、猛烈なる情操に始まって四十年間しだいしだいに情操の降下を経験しておりますから、現時はまだ客観に重きを置く方を至当と存じますが、向後日清戦役もしくは日露戦争のごとき不規則なる情操の勃張《ぼっちょう》を促《うな》がす機会なく日本の歴史が平静に進行するときは、情操は久しからずして科学的精神の圧迫を蒙《こうむ》る事は明らかでありますから、情操文学は近き未来において必ず起るべき運命をもっている事と存じます。ただし未来の情操文学はいかなる内容をもって、いかなる評価をなすやに至っては固《もと》より測《はか》りがたいのはもちろんでありますが、それまでに発展した客観描写を利用してこれを評価の方面に使うのは争うべからざる運命と存じます。これを結末の一句としてこの講演を終ります。
[#地付き]――明治四十一年二月東京青年会館において述――



底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月
※底本で、表題に続いて配置されていた講演の日時と場所に関する情報は、ファイル末に地付きで置きました。
入力:柴田卓治
校正:大野 晋
2000年8月24日公開
2004年2月27日修正
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