犬はこうであったと纏《まとま》って参ります。それがもう一層固まると、こうであったが変じて、かくあらねばならぬとまで高じて参ります。かくあらねばならぬとなった時に、犬なら犬全体に通じての考ができます。かくあらねばならぬ考だから、本人はまだ見ぬ犬にも、いまだ生れぬ犬にもこれを適用致します。さてこの概念を抱《いだ》いて往来を歩いていると、たちまちわんと吠えられる事があります。当人はさっそくにははあ鳴いたな。これ犬なりと断じます。私はこのこれ犬なりの叙述を conceptual な叙述と申したいのであります。犬は一匹であります。耳が垂れて、尾が巻いて、わんわん云う声を出しているかも知れません。しかし単にそれだけ見たり聞いたりしただけでは、種属全体に通用する犬と云う断案は出て来ません。だからこの際における犬は、頭の中に前から存在している犬の一匹もしくは代表者であります。固《もと》より頭のなかに這入《はい》っている犬は、犬と云う名前で這入っているか、または抽象的な関係的知識になって這入っているだけだから、形を具えてはおりません、形を具えている犬はいつでも代表的な一匹の犬になってしまうのは無論であり
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