ますが、個々特別の場合を綜合《そうごう》して成立ったものであるという点において、すでに密切な主観的意味を失っております。personal element が亡《な》くなっております。犬はかくあるべきものという事を云い換えると、すべての人は犬をかく考うべきはずだという事になります。すなわち他人はどうでも自分はこうという立場を離れております。誰にでも通用するもの、結局は客観的にたしかなものという事になります。それだから犬の概念は頭の中にあるだけにもかかわらず、その価値は頭以外すなわち非我の世界に抛出《なげだ》されて始めて分るものであります。その代り例の主観的な分子は、perceptual の叙述に比べると全く欠乏して参ります。ただ吾人の知識が非我の世界において広くなったと云う事は云われます。けれども犬と云えば、すぐに一匹の犬を思い出すのが通例であるから、理窟《りくつ》からいうほど主観的分子は欠けていない場合が多いので、その点においては第一段の perceptual な叙述とつながっております。(この場合においてもこれは犬なりというのはもっとも単簡なる形式を撰《えら》んだものであります)。

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