うと、私はちょっと名前に窮するから、しばらく在来の修辞学に用いている直喩《ちょくゆ》(simile)という語を借用致します。しかし全然従来の simile とも思われないようですから、そのつもりで聞いていただきたい。普通修辞学者の説によると、似たものを似たもので説明するんだそうです。これだけならば※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]を赤茄子で説明したり、洋卓を唐机で説明するのと別段の相違もないようです。ところが実際の例を見ると、大分これとは趣を異にしているのがあります。あの人の心は石のようだ。あの男は虎のようだ。などと云うのがあります。そこでは私は第一段の主観的叙述をあらわすに simile と云う字を借用しました。これは普通 simile の下に取り扱われている叙述のあるものが、私のいわゆる第一段の主観的叙述と同傾向を有しているからと云うだけに過ぎません。さて今申した、あの人の心は石のようだと云う例をとって、調べて見ると、心と石を並べても比較しようがありません。またあの男は虎のようだと云う例にしてもその通り、虎と人間とはとうていいっしょになりようがない。けれども別に無理とも思
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