ある以上は、その考え次第では、第二段に述べる conceptual な叙述を予想した事になりますが、これはその場合に至ってなるべく不都合のないように説明してみましょう。とかくにこの代理のものを用いると云う事は、純粋の叙述ではない、方便であるから、あまり厳密に考えると少しは破綻《はたん》が出そうであります。しかし実際的にはほとんど、私の主意を害する事のないのみか、かえって私の考を明暸に御分らせ申す結果になりますから、こう致しておきたい。のみならず、こうしておくと、片一方の主観的の方と比較するときに大変な好都合になるのであります。
そうすると、帰着するところは、perceptual な叙述のもっとも簡便な形式は洋卓《テーブル》は唐机《とうづくえ》のごとしとか、※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]は赤茄子のごとしとか、驢《ろ》は騾《ら》のごとしとか、すべて眼に見、耳に聞き、手に触れ、口に味わい、鼻に嗅《か》いで得たる形相《ぎょうそう》をもって叙述する事になります。その一般の形式をAはBのごとしとしておきます。
Perceptual な叙述に対する、主観的方面の叙述は何であるかと云
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