は縦中横]と似ているところからやはりB主義に纏められる。こう云う風にして、漸次《ぜんじ》にAn[#「An」は縦中横、「n」は上付き小書き]まで行ったとすると、どんなものでありましょう。甲と乙とは別人であります。乙と丙とも別人であります。別人である以上はいくら真似《まね》を仕合ったところで全然同性質のものができる訳がない。いわんや各自が本来の傾向に従って、個性を発揮して懸《かか》った日には、どこかに異分子が混入して来る訳になります。しかもこの異分子もまたB主義の名に掩《おお》われてしだいしだいに流転《るてん》して行くうちには、B主義の意味が一歩ごとに摺《ず》れて、摺れるたびに定義が変化して、変化の極は空名に帰着するか、それでなければいたずらに紛々たる擾乱《じょうらん》を文壇に喚起する道具に過ぎなくなります。芭蕉《ばしょう》が死んでから弟子共が正風《しょうふう》の本家はおれだ我だと争った話があります。なるほど正風の旗を翻《ひるが》えすのは、天下を挟《はさ》んで事を成すようなもので当時にあって実利上大切であったかも知れませんがその争奪の渦中《かちゅう》から一歩退いて眺めたら全く無意味としか思
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