われません。今私の申す弊は全く理知的の事で実利問題とは全く没交渉ではありますが、転々承継した主義を一徹に主張すると、少なくともその形迹《けいせき》だけは芭蕉以後の正風争いと同価値に終るようになりはせぬかと思われます。もっともこんな事は我々の日常よくある事で、友人と一時間も議論をしているといつの間にか出立地を忘れて、飛んでもない無関係の問題に火花を散らしながら毫《ごう》も気がつかない場合は珍しくないようです。AとA′[#「A′」は縦中横]とは似ている。だから双方共B主義でもまあよろしい。A′[#「A′」は縦中横]とA″[#「A″」は縦中横]とも似ている。だから双方共まあB主義でよろしい。降《くだ》ってAn−1[#「An−1」は縦中横、「n−1」は上付き小書き]とAn[#「An」は縦中横、「n」は上付き小書き]とを比較するとやはり似ている。だから双方とも依然としてB主義で差支《さしつかえ》ないようなものの、最初のAと最終のAn[#「An」は縦中横、「n」は上付き小書き]を対照した時に始めて困る。何だかB主義では足りないような心持がします。スコットの浪漫趣味とモリスの浪漫趣味とは大分違うよう
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