だろうと思います。そこで歴史的研究以外の立場から創作家の態度を御話する事にしました。
 (二)[#(二)は縦中横] もう一つ歴史的研究に対して非難したいのは、ちと哲学者じみますが、こう云う事であります。すべての歴史は与えられた事実であります。すでに事実である以上は人間の力でどうする事もできない。儼《げん》として存在しているから、この点において争うべからざる真であります。しかしながらこれが唯一《ゆいいつ》の真であるかと云うのが問題なのであります。言葉を改めて云うと人類発展の痕迹《こんせき》はみんな一筋道に伸びて来るものだろうかとの疑問であります。もしそうだと云う断定ができれば日本の歴史すなわち西洋の歴史、西洋の歴史すなわち希臘《ギリシャ》の歴史と云う事に帰着します。けれども多数の人は、これら各国の歴史を皆事実と首肯すると共に、ことごとく差違あるものと見傚《みな》すだろうと考えます。もっともこの各国の歴史から共通の径路を抽象して人類の発展の方向は必ず[#「必ず」に傍点]、こういう筋を通るものだとは云われましょう。しかしそれだからといって日本も、支那も、英吉利《イギリス》も、独乙《ドイツ》も
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