、同じ現象を同じ順序に過去で繰《く》り返《かえ》しているとは参らんのであります。あまり雲を攫《つか》むような議論になりますから、もう少し小さな領分で例を引いて御話を致しますが、日本の絵画のある派は西洋へ渡って向うの画家にはなはだ珍重されているし、また日本からはわざわざ留学生を海外に出して西洋の画を稽古《けいこ》しています。そうして御互に敬服しあっています。両方で及ばないところがあるからでしょう。それは、どうでも善いが、日本の画を元のままで抛《なげう》っておいて、西洋の画を今の通|打《う》ち遣《や》っておいたら、両方の歴史がいつか一度は、どこかで出逢《であ》う事があるでしょうか。日本にラファエルとかヴェラスケスのような人間が出て、西洋に歌麿《うたまろ》や北斎のごとき豪傑があらわれるでしょうか。ちと無理なようであります。それよりも適当な解釈は、西洋にラファエルやヴェラスケスが出たればこそ今日のような歴史が成立し、また歌麿や北斎が日本に生れたから、浮世絵の歴史がああ云う風になったと逆に論じて行く方がよくはないかと存じます。したがってラファエルが一人出なかったら、西洋の絵画史はそれだけ変化を受
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