いってこの二派が先天的に哲理上こう違うから微塵《みじん》も一致するものでないという理窟《りくつ》も書いてなし、また理論上文芸の流派は是非こう分化するものだとも教えてくれない。ただ著者が諸家の詩歌文章を説明する条《くだ》りを、そうですかそうですかと聞いているようなものでありました。しかしこれは少し困る。例《たと》えば学派を分けてあれは早稲田派だ、これは大学派だとしてすましているようなものであります。それほど判然たる区別があるかないか分らないが、よしあったにしても早稲田派と大学派は或る点において同じ説を吐いてはならないと圧《お》しつけるのみか、たとい実際は同じ説でも、なに違ってるよ。早稲田だもの、大学だものとただ名前だけできめてしまう弊が起りやすい。私の現代精神の綜合《そうごう》と云うのは、この弊を救うためで、一方ではこの窮窟な束縛を解くと同時に、名に叶《かの》うたる実を有する主義主張を並立せしめようとするためであります。
 けれども、こういう研究は私にはちょっと臆劫《おっくう》でなかなかできないから、歴史的に行くと自然現代の西洋作家を実価以上に買《か》い被《かぶ》る弊《へい》が起りやすい
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