乱れております。のみならず、あるものは見方読方ではどっちへでも編入のできるものも生ずるはずであります。だから詳《くわ》しい区別を云うと、純客観態度と純主観態度の間に無数の変化を生ずるのみならず、この変化のおのおののものと他と結びつけて雑種を作ればまた無数の第二変化が成立する訳でありますから、誰の作は自然派だとか、誰の作は浪漫派だとか、そう一概に云えたものではないでしょう。それよりも誰の作のここの所はこんな意味の浪漫的趣味で、ここの所は、こんな意味の自然派趣味だと、作物を解剖して一々指摘するのみならず、その指摘した場所の趣味までも、単に浪漫、自然の二字をもって単簡《たんかん》に律し去らないで、どのくらいの異分子が、どのくらいの割合で交ったものかを説明するようにしたら今日の弊《へい》が救われるかも知れないと思います。今日の日本の批評は山県は長州人だ大山は薩州人だというような具合に傾《かたむ》いていはしないかと考えられます。それよりも山県はこんな人、大山はこんな人と解剖しまた綜合《そうごう》する方が二元帥を評する適当の方法かと存じます。それでも長州薩州は地図の上で動かすべからざる面積を持って
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