って来なければなりません。自分は自然に生みつけられて、自然の命ずる通りをやるんだから、罪を犯しても、悪を働らいても仕方がない。恨《うら》んでくれるな、嫉《ねた》んで貰うまいと落ちて来る。だから大きな顔をして、不都合な事を立ちふるまうようになるでしょう。それでは御互が迷惑する。社会が崩《くず》れて来る。文学の目的が直接にこの弊《へい》を救うにあるかどうかは問題外としても情操文学がこの陥欠《かんけつ》を補う効果を有し得る事はたしかであります。しかもこの情操の供給を杜絶すれば、吾人に大切な涵養物《かんようぶつ》を奪われたると一般で日に日に痩《や》せ果《は》てるばかりであります。
 両種の文学の特性は以上のごとくであります。以上のごとくでありますから、双方共大切なものであります。けっして一方ばかりあれば他方は文壇から駆逐してもよいなどと云われるような根柢の浅いものではありません。また名前こそ両種でありますから自然派と浪漫派と対立させて、畳を堅《かと》うし濠《ほり》を深こうして睨《にら》み合ってるように考えられますが、その実敵対させる事のできるのは名前だけで、内容は双方共に往ったり来たり大分入り
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