なりません。文学者もその通りかと存じます。真を目的とする以上は、真を回避するのは卑怯《ひきょう》であります。露骨に書かなければなりません。大胆に忌憚《きたん》なく筆を着けなくっては、真に対して面目のない事になります。(この点において善、美、壮に対する情操と時々衝突を起す事は文芸の哲学的基礎において述べましたし、前段においても一方が強くなると、一方が弱くなる事実を例証しましたから御記憶を願います)けれども真に向って進む人が必ずしも好悪のない人とは申されません。真に向って進む間だけ好悪の念を脱却するのであります。尿を検査する医師がいつでも尿に無頓着《むとんじゃく》とは受け取れません。無頓着ならば食卓の上に便器があっても平然として食事ができるはずであります。虫の交尾するところを研究する動物学者だって、虫以外の万事までにその態度を応用する勇気はないでしょう。ただ真を研究する時だけ他を忘れ得るほどに真に熱中するのであると解釈しなければなりません。真を写す文学者もこの医者や動物学者と同じ態度で、平生は依然として善意に拘泥《こうでい》し、美醜に頓着し、壮劣に留意する人間である事は争うべからざるの事実
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