で大地震が揺り出した」こんな人に逢ったらたまりません。少々気が触れてるんじゃないかしらといささか警戒を加えたくなります。してみると、我々の文句長く云えば叙述はやっぱり前に説明した六通りの中間を左へ出たり右へ出たりして好い加減に都合の好いところで用を足しているに違ない。創作家もやっぱりその通りであります。論より証拠《しょうこ》自然派でも浪漫派でも構わないから、一冊の本を取って来て、一句ごとに五六頁順々に調べて見ると分ります。浪漫的な句はたくさん出て来ます。浪漫的な句が嫌な人だって、腹を立てちゃいけない、眼が廻っては怪しからん、是非腹の虫を殺してしまえとまで主張する人はないでしょう。浪漫派の書物もその通り、けっして、のべつ浪漫ずくめでは済まないのです。諸君は、あるいは、そりゃただ句の話じゃないか、一篇一章もその議論で行けるかいと御尋ねになるかも知れません。さよう一篇一章一巻となると私も少し困却致します。しかし降参する必要もないだろうと思います。と云うのは私の考では一句でも叙述、二句でも叙述、三句続いても叙述の気なので、しかもその叙述には前に説明したような種類以外の叙述すなわち回想とか批判とかいうものまでも含められるだけ含めるつもりなのですから、応用はこれで思ったよりも存外広いのであります。
 ここで一歩進めます。客観的態度の三叙述を通じて考えて見ますと、いずれも非我の世界における(冒頭に説明したごとく我も非我と見傚《みな》す事ができますが)ある関係を明かにする用を務めております。知識を与うるのが主になっております。だからして一言にして云うと真[#「真」に白丸傍点]を発揮するのが本職であります。本職と云う意味は、同時に主観的の内職もできると云うつもりで用いた言葉であります。もしこの内職がある程度まで併行《へいこう》していなければ、この種の叙述の価値は大分減じます。大学の教授が私立大学をやめると収入がよほど違うようなものであります。現に真[#「真」に白丸傍点]専門の x2+y2=r2[#「x2」、「y2」、「x2」はそれぞれ縦中横、すべての「2」は上付き小書き]氏のごときに至っては、ほとんど文学を休《や》めて、理学の方で月給を貰わなければ立行かん姿であります。ただ真を本職とする創作家のために都合の好い事は真そのもに付着している別途の感情を有している事であります。例えば(前の
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