は縦中横]と似ているところからやはりB主義に纏められる。こう云う風にして、漸次《ぜんじ》にAn[#「An」は縦中横、「n」は上付き小書き]まで行ったとすると、どんなものでありましょう。甲と乙とは別人であります。乙と丙とも別人であります。別人である以上はいくら真似《まね》を仕合ったところで全然同性質のものができる訳がない。いわんや各自が本来の傾向に従って、個性を発揮して懸《かか》った日には、どこかに異分子が混入して来る訳になります。しかもこの異分子もまたB主義の名に掩《おお》われてしだいしだいに流転《るてん》して行くうちには、B主義の意味が一歩ごとに摺《ず》れて、摺れるたびに定義が変化して、変化の極は空名に帰着するか、それでなければいたずらに紛々たる擾乱《じょうらん》を文壇に喚起する道具に過ぎなくなります。芭蕉《ばしょう》が死んでから弟子共が正風《しょうふう》の本家はおれだ我だと争った話があります。なるほど正風の旗を翻《ひるが》えすのは、天下を挟《はさ》んで事を成すようなもので当時にあって実利上大切であったかも知れませんがその争奪の渦中《かちゅう》から一歩退いて眺めたら全く無意味としか思われません。今私の申す弊は全く理知的の事で実利問題とは全く没交渉ではありますが、転々承継した主義を一徹に主張すると、少なくともその形迹《けいせき》だけは芭蕉以後の正風争いと同価値に終るようになりはせぬかと思われます。もっともこんな事は我々の日常よくある事で、友人と一時間も議論をしているといつの間にか出立地を忘れて、飛んでもない無関係の問題に火花を散らしながら毫《ごう》も気がつかない場合は珍しくないようです。AとA′[#「A′」は縦中横]とは似ている。だから双方共B主義でもまあよろしい。A′[#「A′」は縦中横]とA″[#「A″」は縦中横]とも似ている。だから双方共まあB主義でよろしい。降《くだ》ってAn−1[#「An−1」は縦中横、「n−1」は上付き小書き]とAn[#「An」は縦中横、「n」は上付き小書き]とを比較するとやはり似ている。だから双方とも依然としてB主義で差支《さしつかえ》ないようなものの、最初のAと最終のAn[#「An」は縦中横、「n」は上付き小書き]を対照した時に始めて困る。何だかB主義では足りないような心持がします。スコットの浪漫趣味とモリスの浪漫趣味とは大分違うよう
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