た上でその特色の著るしきものだけに何主義の名をもってする弊であります。だからこの際理論の方から這入《はい》れば成立し得るあらゆる歴史に通用する議論が立てられますし、またはユーゴーとか、バルザックとか云う名前で代表している作物を、一塊《ひとかたま》りの堅牢体で、塊まりとして取り扱うよりほかに手のつけられないものだと云う観念を脱する便宜もあり、また従来実際に発展した歴史から出て来た何々主義より以外には主義は存在し得べからざるものであるとの誤解もなくなるだろうと思います。
(三)[#(三)は縦中横] もう一つ歴史的研究についての危険を一言単簡に述べておきたいと思います。主義を本位にして動かすべからざるものと見ますと、前《ぜん》申した通り作家(すなわち作物《さくぶつ》)を取り崩してかからんと不都合が生ずるごとく、作家(すなわち作物)を本位として動かすべからざるものとすると、今度は主義の方にもって融通をつけなければなりますまい。融通をつけると云うと、一つの作物のうちには同時にいろいろな主義を含んでいる場合が多い、少なくとも含んでいる場合があり得るのですから、かような作物を批評したり分解したり説明したりする際には、一主義のもとに窮窟《きゅうくつ》に律し去る習慣を改めて、歴史的には矛盾するごとくに見傚されている主義でも構わないから、これを併立せしめて、いやしくもその作物のある部分を説明するに足る以上はこれを列挙して憚《はば》からんようにしなければ、やはり前段同様の不都合に陥る訳であります。しかし歴史的関係から作物はそれ自身に whole なものとして取り扱われておりますし、何主義と云う名はこの whole な作物を掩《おお》う名称として用いられておりますから、妙な現象が起って参ります。ここに甲の人があってAと云う作物を出す。するとこの作物にB主義と云う名がつく。(多くの場合においてはこう一言に纏《まと》められないにもかかわらず)次に乙なる人が出て来てA′[#「A′」は縦中横]と云う作物を公けにする。すると批評家がAとA′[#「A′」は縦中横]の類似の点を認めて、やはりB主義に入れてしまう。あるいは作家自身が自らB主義と名乗る場合もありましょう。どちらでも同じ事であります。第三に丙《へい》と云う男が出てA″[#「A″」は縦中横]を書く。A′[#「A′」は縦中横]とA″[#「A″」
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