sころ》がり落ちた。
「旦那あ、あんまり見受けねえようだが、何ですかい、近頃来なすったのかい」
「二三日《にさんち》前来たばかりさ」
「へえ、どこにいるんですい」
「志保田《しほだ》に逗《とま》ってるよ」
「うん、あすこの御客さんですか。おおかたそんな事《こっ》たろうと思ってた。実あ、私《わっし》もあの隠居さんを頼《たよっ》て来たんですよ。――なにね、あの隠居が東京にいた時分、わっしが近所にいて、――それで知ってるのさ。いい人でさあ。ものの解ったね。去年|御新造《ごしんぞ》が死んじまって、今じゃ道具ばかり捻《ひね》くってるんだが――何でも素晴らしいものが、有るてえますよ。売ったらよっぽどな金目《かねめ》だろうって話さ」
「奇麗《きれい》な御嬢さんがいるじゃないか」
「あぶねえね」
「何が?」
「何がって。旦那の前《めえ》だが、あれで出返《でもど》りですぜ」
「そうかい」
「そうかいどころの騒《さわぎ》じゃねえんだね。全体なら出て来なくってもいいところをさ。――銀行が潰《つぶ》れて贅沢《ぜいたく》が出来ねえって、出ちまったんだから、義理が悪《わ》るいやね。隠居さんがああしているうちはいい
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