をとれば早蕨《さわらび》の中に、紅白に染め抜かれた、海老《えび》を沈ませてある。ああ好い色だと思って、椀の中を眺《なが》めていた。
「御嫌《おきら》いか」と下女が聞く。
「いいや、今に食う」と云ったが実際食うのは惜しい気がした。ターナーがある晩餐《ばんさん》の席で、皿に盛《も》るサラドを見詰めながら、涼しい色だ、これがわしの用いる色だと傍《かたわら》の人に話したと云う逸事をある書物で読んだ事があるが、この海老と蕨の色をちょっとターナーに見せてやりたい。いったい西洋の食物で色のいいものは一つもない。あればサラドと赤大根ぐらいなものだ。滋養の点から云ったらどうか知らんが、画家から見るとすこぶる発達せん料理である。そこへ行くと日本の献立《こんだて》は、吸物《すいもの》でも、口取でも、刺身《さしみ》でも物奇麗《ものぎれい》に出来る。会席膳《かいせきぜん》を前へ置いて、一箸《ひとはし》も着けずに、眺めたまま帰っても、目の保養から云えば、御茶屋へ上がった甲斐《かい》は充分ある。
「うちに若い女の人がいるだろう」と椀を置きながら、質問をかけた。
「へえ」
「ありゃ何だい」
「若い奥様でござんす」

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