の地勢である。温泉場は岡の麓《ふもと》を出来るだけ崖《がけ》へさしかけて、岨《そば》の景色を半分庭へ囲い込んだ一構《ひとかまえ》であるから、前面は二階でも、後ろは平屋《ひらや》になる。椽《えん》から足をぶらさげれば、すぐと踵《かかと》は苔《こけ》に着く。道理こそ昨夕は楷子段《はしごだん》をむやみに上《のぼ》ったり、下《くだ》ったり、異《い》な仕掛《しかけ》の家《うち》と思ったはずだ。
 今度は左り側の窓をあける。自然と凹《くぼ》む二畳ばかりの岩のなかに春の水がいつともなく、たまって静かに山桜の影を※[#「くさかんむり/(酉+隹)/れんが」、第3水準1−91−44]《ひた》している。二株三株《ふたかぶみかぶ》の熊笹《くまざさ》が岩の角を彩《いろ》どる、向うに枸杞《くこ》とも見える生垣《いけがき》があって、外は浜から、岡へ上る岨道《そばみち》か時々人声が聞える。往来の向うはだらだらと南下《みなみさ》がりに蜜柑《みかん》を植えて、谷の窮《きわ》まる所にまた大きな竹藪が、白く光る。竹の葉が遠くから見ると、白く光るとはこの時初めて知った。藪から上は、松の多い山で、赤い幹の間から石磴《せきとう》が
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