がま》と、伊勢物語《いせものがたり》の一巻が並んでる。昨夕《ゆうべ》のうつつは事実かも知れないと思った。
 何気《なにげ》なく座布団《ざぶとん》の上へ坐ると、唐木《からき》の机の上に例の写生帖が、鉛筆を挟《はさ》んだまま、大事そうにあけてある。夢中に書き流した句を、朝見たらどんな具合だろうと手に取る。
「海棠《かいだう》の露をふるふや物狂《ものぐるひ》」の下にだれだか「海棠の露をふるふや朝烏《あさがらす》」とかいたものがある。鉛筆だから、書体はしかと解《わか》らんが、女にしては硬過《かたす》ぎる、男にしては柔《やわら》か過ぎる。おやとまた吃驚《びっくり》する。次を見ると「花の影、女の影の朧《おぼろ》かな」の下に「花の影女の影を重《かさ》ねけり」とつけてある。「正一位《しやういちゐ》女に化けて朧月《おぼろづき》」の下には「御曹子《おんざうし》女に化けて朧月」とある。真似《まね》をしたつもりか、添削《てんさく》した気か、風流の交《まじ》わりか、馬鹿か、馬鹿にしたのか、余は思わず首を傾《かたむ》けた。
 後《のち》ほどと云ったから、今に飯《めし》の時にでも出て来るかも知れない。出て来たら様子
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