、この女の世界に統一がなかったのだろう。不幸に圧《お》しつけられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔だ。不仕合《ふしあわせ》な女に違ない。
「ありがとう」と繰り返しながら、ちょっと会釈《えしゃく》した。
「ほほほほ御部屋は掃除《そうじ》がしてあります。往《い》って御覧なさい。いずれ後《のち》ほど」
と云うや否《いな》や、ひらりと、腰をひねって、廊下を軽気《かろげ》に馳《か》けて行った。頭は銀杏返《いちょうがえし》に結《い》っている。白い襟《えり》がたぼの下から見える。帯の黒繻子《くろじゅす》は片側《かたかわ》だけだろう。
四
ぽかんと部屋へ帰ると、なるほど奇麗《きれい》に掃除がしてある。ちょっと気がかりだから、念のため戸棚をあけて見る。下には小さな用箪笥《ようだんす》が見える。上から友禅《ゆうぜん》の扱帯《しごき》が半分|垂《た》れかかって、いるのは、誰か衣類でも取り出して急いで、出て行ったものと解釈が出来る。扱帯の上部はなまめかしい衣裳《いしょう》の間にかくれて先は見えない。片側には書物が少々詰めてある。一番上に白隠和尚《はくいんおしょう》の遠良天釜《おらて
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