−74]泥帯水《たでいたいすい》の陋《ろう》を遺憾《いかん》なく示して、本来円満《ほんらいえんまん》の相《そう》に戻る訳には行かぬ。この故《ゆえ》に動《どう》と名のつくものは必ず卑しい。運慶《うんけい》の仁王《におう》も、北斎《ほくさい》の漫画《まんが》も全くこの動の一字で失敗している。動か静か。これがわれら画工《がこう》の運命を支配する大問題である。古来美人の形容も大抵この二大|範疇《はんちゅう》のいずれにか打ち込む事が出来べきはずだ。
 ところがこの女の表情を見ると、余はいずれとも判断に迷った。口は一文字を結んで静《しずか》である。眼は五分《ごぶ》のすきさえ見出すべく動いている。顔は下膨《しもぶくれ》の瓜実形《うりざねがた》で、豊かに落ちつきを見せているに引き易《か》えて、額《ひたい》は狭苦《せまくる》しくも、こせついて、いわゆる富士額《ふじびたい》の俗臭《ぞくしゅう》を帯びている。のみならず眉《まゆ》は両方から逼《せま》って、中間に数滴の薄荷《はっか》を点じたるごとく、ぴくぴく焦慮《じれ》ている。鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅鈍に丸くもない。画《え》にしたら美しかろう。かように
前へ 次へ
全217ページ中53ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング